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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【変るけれど変らない、変らないけれど変る】

2005.4.1 

中村桂子館長
 4月。新しい生活をお始めになった方も多いでしょう。今年から大学生や社会人になったという若い方がこれを読んで下さると嬉しいと思いながらおめでとうを申し上げます(もちろん、今年から自由人になったという年輩の方も大歓迎です)。最近学校を二学期制にする動きがあり、その中で、年度を9月に始めるのがよいのではないかという議論があります。欧米の多くの国が9月開始の二学期制をとっているので、それに合わせた方が何かと便利ということです。一理ありますが、なんとなく春という季節、とくに桜の咲く頃に一年が始まるという感覚が体にしみついているというのが実感です。そんなの何の根拠もない。変えてしまえば、9月の中に新学期の気分を探せるよと言われそうですし、事実そうでしょうけれど。生命誌研究館にも大学院生が三人(石渡啓介、山田歩、春田知洋)、新入の館員が一人(板橋涼子)仲間入りです。組織としては、変わらない基盤を持ち、継続性をもつことが大事ですが、それを支えるメンバーは少しずつ変り、新しい風、とくに若い風が入ってくることが必要です。変ると変らない。これを上手に持っていくことが組織を生き生きとする基本でしょう。
 1990年に著した「生命のストラテジー」(ハヤカワ文庫)で、生命の基本は「矛盾にみちたダイナミズム」であると書きましたし、今もそう思っています。ゲノム(DNA)を見ると、二重らせんという構造は、同じものを複製できると同時にある確率で変ったものを生み出させるというみごとという他ない性質を持っています。変らないけれど変る、変るけれど変らないのです。私がDNAという言葉を聞いた時には、ここで述べた性質も含めて、それが持っている何ともいえぬみごとさをあれこれ思い浮かべることになります。しかもそれがいかにも生きものっぽいので、ゲノム(DNA)を基本にして生きものを考えていく仕事が面白いのです。ところがどうも、多くの方は、DNAと聞いた時、遺伝子を思い浮かべ、しかも遺伝子を性質をきめてしまうという動きのないものとして受けとめているらしいということがわかってきました。先日も、科学哲学の専門家から、“生きるということを考えるのにDNAを持ち出すなんてとんでもないことだ”という批判をいただきました。DNAなんて単なる物質じゃないかということでしょう。まさにその通りです。単なる物質です。でもそれが細胞の中に入った時の動きはまさに「生きる」と重なるのです。私は「生きる」を物質で説明しようとしているのではありません。DNAの動き、つまり“事”が面白い。DNAを“モノ”としてではなく“コト” として見ていくのです。今年もBRHは生きものと同じように「変らないけれど変る、変るけれど変らない」で行きます。たくさんのコメントをお願いします。
 
 
 【中村桂子】


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