館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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【新年おめでとうございます】
2004.1.1
昨年の11月末、BRHの十周年の催しをいたしました。生憎雨が降ってしまいましたが、お忙しい中、大勢の方にいらしていただき、本当にありがたく改めて御礼申し上げます。参加して下さった方、制作に関わって下さった方たちのお話からも、今、多くの方が私たちと同じ気持ちを持っていらっしゃることがわかりました。通常の科学ですと、社会との接点を作るために広報作業を依頼することになるのですが、生命誌の場合、表現する人々が自身の表現の素材として考えて下さいます。 十周年では、「ピアノとスライドで語る生命誌研究館」、「朗読ファンタジー 絵巻のおしゃべり “ものみな一つの細胞から”」、「出張生命誌展示」をいたしました。このような催しは、作る過程に意味があるわけですが、外から関わって下さった音楽家、画家、作家、舞台制作者などの皆さんが生命誌へ近づくというより、ご自分のお仕事の方へ生命誌を持ち込んでいって下さるのがよくわかりました。 最近、生命科学研究者、他の分野の研究者、官庁や地方自治体の政策立案者などの中に、ご自分の仕事に生命誌の考え方を取り込んで下さる方が増えているのを実感しています。先日も、私が20年以上前に書いたものから数年前の報告書までを見て、このような考えを取り入れて日本の将来を見据えた政策を考えたいといって霞ヶ関から生命誌研究館を訪れて下さった方があります。現在の政治がどんな国を作ろうとしているのかが見えない不安、その中で“平和”とか“生命”という大切にするのがあたりまえのものが踏みにじられていく恐さなどから、このままではいけないと考えている様子が伝わってきました。今すぐ何かを変えるということは難しくても、何も考えずに行きあたりばったりでやるのと、基本をきちんと考えながら現実対応をしていくのとでは違います。国の将来を考えている人がいるのだと思って少し明るい気持になりました。もう一つ、海外からの反応も増えていますがこれについてはまた回を改めます。こんな風にいろいろ考えさせられた十周年でしたが、これからはBRHの中で、自分の仕事をしっかり進めながらその根となるコンセプトを自分のものとして作っていく人が育つことが大事です。十周年の時に岡田節人特別顧問が“こういう催しは、たまたまその時に出会ってしまったというものだが、それを一生懸命やると必ず何かが残る”と話されたのは名言だったと思います。10年というのは、それだけの積み重ねができたということであるのと同時に、新しい展開をするきっかけにしなければならないことでもあります。 未来はいつもどうなるのかわからないところを持っているわけですが、「生きものを見つめる」という基本は守ってコツコツやっていくことに変わりはありません。これをBRHメンバーの共通認識として今年もできるだけ楽しくやって行きたいと思います。よろしくお願いします。 【中村桂子】 ※「ちょっと一言」へのご希望や意見等は、こちらまでお寄せ下さい。 |