館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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レスター・ブラウンとジェームズ・ラブロック。20世紀の文明にあり方に対して、その内部から新しい考え方や行動の方法を提唱し実行している人として、日本で “人気がある”−この言い方は誤解を招くかもしれませんが、決して軽い意味でなく多くの人が次の方向を示している人として受けとめている二人です。縁あって、この二人とそれぞれ別々に対談をする機会に恵まれ、次の時代を見通そうとする努力から多くを学びました。ただ、そこで最も強く感じたのは、当然といえば当然ですが、二人共、西欧文明の中の知識人に求められる論理性をとても大事にし、その中で新しい解決を求めているということでした。東洋と西洋を対立的に捉えることは好きではありませんし、また建設的とは思いませんが、たとえばラブロックさんの“ガイア”という言葉から日本の多くの人が受けとめている「生きもの賛歌の地球」と、本来ラブロックさんが科学で考えて答として出した「生物がもつ恒常性維持能力によって続いてきた地球」とでは、少しイメージが異なっていると思うのです。地球を岩や水だけから成る系としてでなく、生物が存在し、しかも生物が地球という系そのもの、とくに水が水として存在し得る系であることに大きな役割を果しているところに注目したのは新しい見方であり、とても面白い視点です。ただ、基本にあるのはやはり物理学で機械論です。従来の「科学」で地球という系を説明しきろうとしています。このような見方に対して、生命誌の立場は地球上での生きものの歴史を踏まえ、生きものという系がもつ特徴について、正確な評価をしていく必要があるわけです。生きものが恒常性を示す背景にあるしたたかさや、しなやかさはどのようなところから来ているのかを問う、新しい「科学」を考えようとする研究もかなり出てきています。日本人の中からも。論理は捨てずに機械論ではない答を探さなければいけないというのが当面やるべきことだと思います。くり返しますが、ラブロックさんの指摘するように生態系という生物だけの間の関係を超えて、環境のもつ意味も含めて地球という存在を考えることはとても大切なことです。研究館でのオサムシ研究もそれを示しました。しかしこの問題は、生きものとはなにかという基本から考えないと簡単には答は出そうもないというのが、お話しをした後の感想です。
【中村桂子】
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