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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【自然は思うようには・・・】

2003.7.15 

中村桂子館長
 生きものの世界と接していると、いつも思いがけないことだらけというのが実感です。子育てなんてその最たるものですし、自分の体だって思うようにはなりません。週末には庭へ出て息抜き(夏になるとヤブ蚊がブンブンやってくるのでこの対策が面倒なのですが)をしますが、今回、まさに思いがけない・・・というか、ナルホドという体験をしましたのでそれを。実はその顛末は“信濃毎日新聞”のコラムに書いてしまったので、もう一度書くのもと思い、コラムの紹介という形でお許し下さい。

【「自然は意のままにならず   ※信濃毎日新聞 2003.7.7から一部改変※」
 「すもももももももものうち」(佐藤雅彦さんのエッセイには「すも×8のうち」とあった)。桃を育てるのは難しそうだが、李ならなんとかなりそうだと思って庭に植えた。もちろん、実がなるのを期待してのことだが、この仲間は春に咲く花が美しい。世間では桜に人気があるけれど、それより少し早く開く杏や李の方が、ちょっと遠慮がちなところがあって好ましく思える。もちろん皆同じバラ属サクラ科、どれも日本の春を彩るのにふさわしく、桜を嫌うのではないが。
 植えてから六年目、昨年は数十個の実がなり、ジャムを一びんだけ作れたので、今年もそのくらいはと思っていたら、なんと枝という枝に実がついて、下の方などこのまま育ったら折れるのではないかと思えるほどになった。本格的に対処するなら摘果をするべきなのかもしれないが、初めてのことでもあり、とにかく皆んな熟れて欲しいと思い、そのままにしておいた。
 六月に入り、雨が続く中、少しずつ赤味を帯びていくのを眺め、白い花もよいけれど、雨上がりの陽の光に映える緑と赤の組み合わせも美しいなあ、しかも後での収穫もあるんだから楽しみはこちらの方が大きいぞと、花より団子的思考を楽しんだ。
 六月末の週末、少しずつ熟れたものが出てきたので家人と共に収穫。土曜日に二百十個ほど、日曜日に二百個ほど。せっせとジャムを作った。快い甘酸っぱさに大満足。月曜日の朝には、赤くなったものは採りつくした状態を確かめて大阪に出かけた。もちろん、次の週末に戻ってきて残りを収穫するのを楽しみに。
 次の週の土曜日の朝。熟れた実がたくさんなっている様子を思い浮かべながら、前より大きなカゴを持って庭へ出た。「ええっ、ウッソー。」もう誰も使わなくなってしまった元若者言葉が口を突いて出た。葉っぱしかないのだ。隅から隅まで探したが、実は一個もない。
 地面の上はタネだらけ。以前からカラスが時々つついて、つつき散らした実のまわりにアリが集まっているのは眼にしていた。まあ、鳥にも分けてあげよう、アリも嬉しいだろうと寛大な気持で眺めていたのだが、そんな甘いものではなかった。完熟するのを待ち、美味しいときにすべて頂戴するのが彼らの方式、別の言い方をするなら自然の決まりなのだ。
 いろいろ考えさせられた。自然について、思い通りの計画なんて成り立たないということ。他の生きものたちの方が、自然の営みについてはよく知っており、その賢さでは彼らの方が上だということ。しかし一方、眼の前にあるものはすべて使うということろから抜け出し、計画的に、資源使い尽くし型でない賢さで他の生きものとの違いを出していくのが人間らしさというものだとも思った。
 カラスもヒヨドリも、相変わらずとびまわっている。ごちそうさまと挨拶するでもなく(庭に置いてあるテーブルセットのあたりが一番たくさんタネがあったので、お隣の奥様曰く、どうもこの辺りでパーティーをやったようねという状態なのに)。充分勉強したので来年はうまくやれるぞと思っているが、李が豊作かどうかが問題だ。自然は意のままにならないものだから。 】



【中村桂子】


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