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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【テロと爆撃の中で】

2001.11.1 

物を考えるとき、正面から攻めるよりはちょっと斜めから見た方が考えが展開していくことがあります。実は、次の事はすでに別のところに書いたのですが、私自身これをきっかけにあれこれ考えることができたので、ここでもう一度書いてみます。
「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法案」。国会でこれが読み上げられるたびに寿限無を思い出すので、字数を数えたら片や百十三、片や百十。ほぼ同じとわかりました。
「寿限無寿限無、五劫のすり切れ、海砂利水魚の水行末、雲行末、風来末、食う寝る所に住む所、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助」
どちらも一度聞いただけではわけがわからないけれど、寿限無の方は調子がよく、もう一回聞いて意味を知りたいと思い、自分でも言ってみたくなります。長屋の熊五郎が子どもの幸せを願ってめでたい言葉を全部いただいた結果のとんでもない名前ですが、「食う寝るところに住む所」を奪うことがどれだけ非人道的か、熊五郎にはよーくわかっているのです。
最近はグローバル化とか国際経済とか言わないと社会のことをきちんと考えていない人に見られてしまいますが、そんな言葉を振り回して「食う寝るところに住むところ」を勝手にとりあげる方が社会を考えていないことになるのではないかしら。熊さんが我が子だけの幸せを願うと問題ですが、お隣の金坊も可愛がり、世界の子どもたちにまでその気持を広げられればよいわけです。こういうグローバルなら皆んな長久命の長助になるでしょう。私は熊さんで行きたいと思っています。

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