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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【史を誌にしたらどうだろう】

1998.12.15 

 先回、ヒトと人間というテーマを考えました。そこで登場した縄文人。私が子どもの頃の絵本や教科書には、縄文人はいかにも野蛮で文化など持っていない人のように書かれていた・・・というより縄文についてはあまり書かれていなかったという方がよいかもしれません。実はその時代は一万年も続いたのに。その理由を民族学博物館の小山修三先生は、それを「歴史」として見てきたからだとおっしゃっています。歴史は文字で書かれた文献を必要とするので、「魏志倭人伝」に書かれている弥生時代以降は研究の対象となるけれど、縄文はその外だというわけです。
 ところで最近続々縄文の遺跡が発掘され、当時の生活が見えるようになってきました。これと歴史との関係をどう見るのか・・・歴史学、考古学、民族学などさまざまな分野があり、専門的に考えたら面倒なことがあるのでしょう。しかし、しろうとは無責任。生命誌がゲノムに誌された記録を読み解くのと同じように、土器、住居などなどに誌されたものを解読すると考えれば、「人間誌」として総合的に見られるのではないかと考えます。そうすれば、縄文時代の記述はもっともっと豊かになるはずです。というわけで、三内丸山遺跡訪問の感想はまたまた次回に延期となってしまいました。

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