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研究館より

中村桂子のちょっと一言

2022.05.17

生命誌の原点を忘れない

先回、生命誌研究館は、科学と芸術とが共にある場を創っていくところとして期待されていることを再確認しましたが、日本画家の千住博さんの次の言葉は、それを後押ししてくれるものです。

「芸術とは何かと言うと、『私たち』のいるこの空間を把握したい、という行為なのです。『芸術に個性は必要ない』と私は言い続けています。必要なのは個性ではなくて、世界認識のための『切り口の独創性』なのです。常に芸術は『私は』ではなく『私たちは』という発想です。『私たち』はどのような世界に生きているか、という『世界表現』が芸術です。多くの方が間違えていますが、『自己表現』ではないのです」(科学と芸術 日本科学協会編 中央公論新社)

私が生命誌で考えていることとあまりにもピタリと一致することに驚きさえ感じました。実はこの時のお相手は脳科学者の酒井邦嘉さんで、「科学も全く同じです。個性を磨いて研究するのではなく、重要な発見は切り口の新しさにあります。単著の論文では著者を指してwe(私たち)を使う習慣があります」と答えています。生命誌研究館は、この「私たち」を「私たち人間」から「私たち生きもの」にまで広げると、より本質が見えてくるという考え方で始めたところです。

それにしてもなぜ芸術家や科学者だけでなく、政治家や企業経営者や官僚など、実社会を動かす役割の人たちも「私たち」から出発することにならないのでしょうか。強く「私」を主張するだけでは物足らず、相手を否定するために金力、権力、更には武力まで使う社会にしてしまうのですから、本当に迷惑です。しかも最近は、科学者までもが「私たち」を忘れて私を主張するようになっています。芸術家の世界はよく知らないのですが、同じようなことが起きているのでしょうか。

なぜ「私たち人類」という簡単な事実から出発できないのでしょう。実はそれでは不充分で、「私たち生きもの」という事実から出発すれば、子どもたちが暮らす場に爆弾を落とすという行為は決して起こり得ないと思うのです。

どこかで間違えましたね。私たちの生き方。「私たち生きもの」という事実を見つめ、私たちのいるこの空間と時間をきちんと把握するところから始める。皆んなが一度芸術家になるということでしょうか。

とにかく生命誌の原点を忘れないようにして考えようと思います。なんとかしてこの末世のような社会から抜け出すために。
 

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶