Special Story
ホヤの卵が教えてくれること
17世紀初頭、イギリスのハーヴィは「すべては卵から(Ex ovo omnia)生ずる」という名言を残した。彼のこの言葉は、卵の中に蓄えられた情報がどんなに重要かを表現している。
ホヤの胚をバラバラにして、一つ一つの細胞にしてみよう。すると、右の細胞からは体の右側ができ、左の細胞からは体の左側ができるではないか。卵の中には、いったい何があるのだろうか。ホヤは、どんな生物にもまして、その後の発生過程の多くを卵の中の情報が決めていると考えられている。そこで、マボヤ受精卵に蓄えられている遺伝子産物(RNA)をすべて解析しようというプロジェクトが始まった。遺伝子の産物というと、タンパク質も考えられるが、RNAのほうがはるかに分析しやすいので、まずそれに注目することにした。ホヤの受精卵の中の遺伝子はヒトに比べて約5分の1に過ぎないが、それでも1万弱はある。これを片っ端から1つずつ取り出して解析していくのである。
解析が進むうちに、予想を超えてさまざまな遺伝情報がホヤの卵に蓄えられていることがわかってきた。たとえば、ショウジョウバエでは神経を作るはたらきをもつことがわかっているムサシ(Musashi)遺伝子のRNAや、マウスの初期発生で重要な役割を果たすことが知られているウィント(Wnt)遺伝子のRNAも発見された。それだけではない。特定の遺伝子のはたらきを助ける因子(タンパク質)を作るためのRNAや、そうしたRNAの機能を抑える因子を作るためのRNAも発見されたのである。
さらに面白いことに、そうしたRNAは20個に1つ程度の割合で卵の中のマイオプラズム領域に蓄えられていることが明らかになった(図)。マイオプラズム領域は、ホヤ卵内に局在することが知られているさまざまな発生学的活性のうち、尻尾の筋肉を作る因子と体の前後を決める因子が局在するところである。今後、見つかったRNAの発生過程における役割を詳しく調べることで、こうした因子の実体が明らかになっていくことだろう。
動物の卵の中にはどのような因子がどうやってあるべき場所に隔離され蓄えられているのか、そしてそれらはどうやって体の設計図である核のDNAを制御し、正しい胚発生を導いて体を作っていくのか。ホヤの卵の中のRNAを解析することで、動物の卵のいまだ知られざる秘密を解き明かせる可能性がある。
卵や胚の一部分にだけ存在するRNAたち
① 受精卵でのウィント5遺伝子のRNAの染色。in situハイブリダイゼーション法による。受精卵では比較的広い領域に存在しているが、のちに小さな領域に限定されていく。
②~④ 同じくウィント5遺伝子のRNA。4細胞期(②)、8細胞期(③)および尾芽胚(④)。④では、尾部付近の小さな細胞2つで母親のゲノムから作られたRNAが発現し、尾部を貫く脊索部分で胚のゲノム由来のRNAが染まっている。
⑤ 1F16という未知の遺伝子の8細胞期での発現。
ウィント5遺伝子のRNAと同様に、小さな領域での強い局在が見られると同時に、細胞質全体にも薄く広がっている。胚の中で、RNAを輸送・隔離するメカニズムが複数あるらしい。(写真=真壁和裕)
(まかべ・かずひろ/京都大学大学院理学研究科助手)
※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。