Art
自己認識のゆらぎ。
可視化されたDNAと脳が、衝撃を与え、作品が生まれた。
科学がアートに新しい潮流を生む。
「私」はなぜ「このような姿、形」で「今、ここ」にいるのか。
何が「私」であると認識させるのだろうか。
「私」の細胞から採ったDNAのデータと「私」の脳の映像を目にした瞬間、「私」の脳は動揺していました。
その思いはしかも、プログラムデータの産物……。衝撃でした。どんな「思惟」よりも「プログラム」が先にある。ATGCという4つの塩基で表示されたそのプログラムは、「私」という生命体/有機体もまた、物質/無機物の連なりを単位にして成り立っているというのです。まさに無機/有機の臨界点を見る思いがしました。こうした感慨が私自身の塩基・細胞・臓器(脳)・身体をモチーフにした一連の近作のインスピレーションになったのです。
1987年から私の作品には、遺伝子のイメージ、染色体の形態が登場しています。その年に亡くなった父へのレクイエムと、私の由来を記号化した表現をGENOMEのイメージに求めたのです。生殖細胞である卵と精子。その合体で生じた体細胞内の一組の性染色体XX・XYを形態またはアルファベットとみなし、そこに性のイメージを加味した作品を作りました。X・Yは数学では第一、第二の未知数を指します。XとYの形態と名称とが、代入可能な仮定数という面を連想させるのです。
ナム・ジュン・パイクは、ビデオアートの可能性の一つを、時間をコラージュできることであると語っていましたが、一つの個体に繰り返し現れるパターンのコラージュであるDNAは、時間の系でもあります。GENOMEはどうやら時空間を自由に飛び越えられるタイムトラベラーのようです。
ヒトの脳は、デカルト以来、認識の中枢と捉えられてきました。MRIで撮った私自身の脳の映像を、自己認識と記憶のメタファーとして作品に用いました。MRIは、切開することなく、疾患箇所を検診するために開発された医療技術ですが、この技術を用いて撮影した脳の画像には科学的なデータとしての役割を超えて、意識や認識を相対化する力があります。
音や映像は、さまざまな種類の長短の波の組み合わせです。それらの波を明度の高低や調子の変化として受け止め、私たちは美観を見いだしています。自分自身がもつ秘境である身体内部のイメージを新しい技術によって見ていくなかで、新しい技術が新しい波の表現を生み、美観のゆらぎを見せてくれることに感動を覚えました。技術の開発によって、また、領域の横切りによって、新しい認識がもたらされたのです。美の基準の中心になる分野など存在しないと考える時、このような技術によるイメージの抽出はつきない魅力となります。
時に応じた生命論の他領域への影響はすでに明らかですが、自然を人為的に操作し始めた今、バイオテクノロジーや生物学の認識論をアートの基本にしてみると、新しいコンセプトが見えてくるように思います。
② 私の脳の中の私 ©鈴木淳子
③ 自己の生殖器系細胞 ©鈴木淳子
④ MRlによるセルフポートレート (http://www.222.or.jp/free/synapより) ©鈴木淳子
⑤ 受胎告知 ©鈴木淳子
⑤ cIoning ©鈴木淳子
⑦ Wiring theBrain ©鈴木淳子
⑧ Wiring the Brain (60×180cm、1997) ©鈴木淳子
鈴木淳子
(すずき・じゅんこ)
東京生まれ。現代美術コンペティションでグランプリ受賞。ACC・ロックフェラー財団の給費研究員としてPSI美術館(ニューヨーク)で研修。isea97、MlTメディアラボ企画展に参加。東京、ニューヨークなどで、数多くの個展、レクチャーなど。