Special Story
深海 — もうひとつの地球生物圏
地球上における生命の歴史をひもといてみると,原初の生命は,太陽から降り注いでいた,強烈な紫外線の届かない深海の底で現れた可能性が考えられる。近年,深海の熱水鉱床において,100℃前後の高温でよく育つ超好熱性古細菌の存在が明らかになり,系統学的な証拠からそれらが原始の生命に極めて近いのではないかと議論されている。
ということは,原初の生命の進化は,高水圧の環境である深海で始まった可能性があり,高圧下での遺伝子の発現の仕組みは,生命の進化のごく初期において獲得されたものと思われる。深海は非常に高い水圧下におかれた低温の暗黒世界であり,こうした環境下では生命進化のスピードも遅く,原初の生命システムの痕跡が残されていると考える人も多い。
私たちは,高水圧下での遺伝子のはたらきを調べることを目的に様々な実験を行なってきた。まず,深海から採った底泥には,大きく分けて2種類の微生物がいることがわかった。1つは「好圧性微生物」で,高い圧力下では生育できるが,大気圧ではまったく生育できないか,死滅してしまうもの。もう1つは,どちらの圧力下でも生育できる「耐圧性微生物」である。
これらの微生物の遺伝子のはたらき方を調べてみると,好圧性微生物のもつ遺伝子は高圧下でよくはたらくが,耐圧性微生物の遺伝子は,高圧下ではたらくものと,圧力にかかわらずはたらくものがあることがわかった。
では,現在大気圧に適応している微生物の場合はどうか。大腸菌を用いて実験をしたところ,大腸菌の遺伝子には,深海から分離した微生物と同じように,どんな圧力でもはたらくもの,そして高圧力下ではたらくものがあることがわかり,同時に大気圧ではたらき高圧力下でははたらかないものがあった。
こういった一連の実験の結果から,圧力に対する応答の仕方について,次のように考えている。すなわち生命の発祥当初は,高圧力下で遺伝子がはたらく状態になっていた。その後,生物が浅い海,陸上へと進出するにともない,種々のストレスを経験し,順々にどんな圧力でもはたらくシステム,大気圧でのみはたらくシステムが獲得されていった。
これを証明するためには,今後膨大な研究が行なわれなければならないが,こんなふうに圧力制御という側面に注目して,生物やその遺伝子の進化を見てみることも,大切な視点であると思う。
深海から採取された微生物
好圧性細菌は,高い圧力のもとでのみ生きることができ,大気圧では生育できない。一方,耐圧性細菌はどちらでも生きることができる。つまり圧力の変化に耐えられる。
(かとう・ちあき/海洋科学技術センター・深海微生物研究グループ チームリーダー)
※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。