Special Story
深海 — もうひとつの地球生物圏
かつて生物はいないといわれた深海底にもたくさんの生物がいることが,ここ数十年の間にわかってきた。しかし,具体的にどんな生物がいるのか,全貌を明らかにしたというにはほど遠い。
私が研究しているのは,海底にすむメイオベントスと総称される1mm以下の小形の動物たちだが,それについては,深海に限らず浅海でも研究はほとんど進んでいない。はっきりしていることは,未知の小動物がたくさんいるということだ。
動物の最大の分類単位を門という。門は非常に大きい分類単位で,脊索動物門は人間から魚やホヤまでを含み,節足動物門には昆虫・エビ・サソリなど多様な動物たちが属している。ところが,今世紀に入っても新しく5つの動物門(有鬚(ゆうしゅ)・平板(へいばん)・顎口(がっこう)・胴甲(どうこう)・有輪(ゆうりん)動物)が記載され,有鬚を除く4つはメイオベントスだった。とくに有輪動物などは,1995年の暮れに記載されたばかりである。門のレベルですら,新しいグループがいまだに発見されるということは,研究がいかに遅れているかを如実に物語っている。
門のような高次分類群の発見はそうざらにあることではないが,種のレベルでもメイオベントスの研究は遅れている。なにしろ,既知種に出会うことが滅多にないのである。メイオベントスは個体数が多く,生物量が少ない深海でも1m2当たり10万から100万個体生息している。そのほとんどは線形動物(線虫類)で占められるが,たとえば,深海の線虫類に関する研究例では,採取された個体のうち既知種は0.7%に過ぎなかったという。この数字は浅海域でも大差ない。
この事実は,生物多様性が危機に瀕している現状を考慮すると,今こそ分類学を強力に推進せねばならないことを強調している。このままでは我々が科学研究の対象として取り上げないままに,失われていく生物種がたくさんあるに違いない。既知の線形動物は約1万5000種だから,単純計算でもその100倍以上,つまり100万種(1億以上という説もある)のオーダーの未知の線虫が記載される日を待っている。
この気の遠くなるような研究対象を,どうすれば学問は理解できる日が来るのだろう。伝統的な方法ではらちが明きそうもない。分類学者は,革新的な方法論の開発も視野に入れて,今後の研究を進めていかねばならないのではないだろうか。
さまざまなメイオベントスたち
水中に漂っているプランクトンに対して,水の底にいる生物はベントス(benthos,語源はギリシャ語で「海の深み」という意味)と呼ばれている。大きさ別に「メガ」「マクロ」「メイオ」「ナノ」「ピコ」と区分されている。「メイオベントス」は,1mm以下,約30μm以上のものを指す。
①胴甲動物門(Phylum Loricifera)のコウラムシ(Nanaloricus mysticus )。全長約0.3mm。コペンハーゲン大学のクリスチャンセンが1983年に新しい動物門として記載した。
②有輪動物門(Phylum Cycliophora)のシンビオン・パンドラ(Symbion pandora )。ノルウェー産アカザエビの口から見つかり,やはりクリスチャンセンがファンクとともに1995年に新しい動物門としてNature 誌に報告した。
③動吻動物門(Phylum Kinorhyncha)のEchinoderes sp.
④腹毛動物門(Phylum Gastrotricha)のMuselifer sp.
⑤線形動物門デスモスコレキダ科のDesmoscolex laevis の頭部の走査電子顕微鏡写真。線虫の分類には,電子顕微鏡を用いた形態の解析が欠かせない。
⑥線形動物門(Phylum Nematoda)デスモスコレキダ科のDesmoscolex sp.
(写真①,②=コペンハーゲン大学・Reinhardt M.Kristensen,③~⑥=白山義久)
(しらやま・よしひさ/東京大学海洋研究所助教授)
※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。