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Experiment

鱗粉が描くモザイク画

高山絵理子

現在,生命誌研究館の1階に蝶の標本が展示されている。複雑な翅の模様はあきれるほど多様性に富んでいて,蝶収集のマニアが多いのもうなずける。そんな趣味はない私のような人間でもついつい興味を引かれてしまう。蝶など好きでもなんでもなかった私だが,生命誌研究館での2年間,蝶の翅の模様のできる仕組みを調べた。蝶の翅は,美しいだけではなく,生物の体の形のつくり方を調べるための素晴らしいモデルとなってくれるからである。

蝶の翅は,一層の細胞でできた袋が押し潰された二層構造をしている。成虫の翅が1枚に見えるのは表と裏の層が密着しているためであり,その表と裏の面それぞれに模様が描かれている。

①ギフチョウの翅。

きれいな模様はじつは鱗粉という粉でできている。翅の模様は蛹の中で作られる

問題は,この模様がどうやってできるか,である。

蝶の翅の模様は鱗粉 — 蝶の翅を掴んだときに手につくあの粉 — で作られている。それぞれ特有の色をもつ鱗粉は蛹(さなぎ)の時期に一つの鱗粉細胞から一つずつ作られて,それがモザイク画を作るように並んで模様ができている。つまり鱗粉細胞がそれぞれどんな色の鱗粉を作るかで,翅の模様全体が決まってくるのである。これは人文字を作る場合と似ている。集団の中で一人一人が自分のいる位置に応じた色のカードを掲げる。一人は一色のカードを持っているだけなのだが,全体としては大きな文字が作られる。蝶の模様もこれと同じであり,蝶の翅の模様のでき方を調べるということは,鱗粉細胞が自分のいる場所に応じた色の鱗粉を作るようになる仕組みを調べるということなのである。

②翅の模様は蛹の中で作られる

モンシロチョウの蛹(a)。翅の形は蛹になった時点ですでにできており(b),蛹の間に鱗粉による模様が作られる。羽化直前の蛹は,よく見ると模様がわかる(c)。

じつはこれは動物の体づくり全般に当てはまる問題である。多細胞動物の体はその名のとおり数多くの細胞が集まってできているが,もとは受精卵というたった一つの細胞だった。そのたった一つの細胞が増え,いろいろな種類の細胞に分化する。人で考えれば,皮膚の細胞,神経の細胞,骨の細胞等々。あるべきところに,あるべき種類の細胞が位置していることで,人の体という決まった形の体ができている。この形はどうやってできるのか。この問題を,人の体まるごとについて一度に考えるのは難しい。複雑な立体構造で,細胞の数は多く,多種の細胞に分化する。細胞は分裂し,移動する。考えなくてはならない要素が多すぎる。蝶の翅は単純な平面構造であり,鱗粉細胞は何色の鱗粉を作るのかが決まったら,そのままの場所で鱗粉を作る。場所に応じてその場所特有の細胞に分化する仕組みを調べるための最適のモデルになるのだ。

私が使っていたモンシロチョウでは,表の模様を作るのは,白,黒の2種類の鱗粉のみである。鱗粉細胞の選ぶ道は,白か黒か,二つに一つ。ちなみに白い鱗粉,黒い鱗粉はそれぞれ決まった色素をもっており,白い鱗粉に色がついたのが黒い鱗粉というわけではない。白,黒どちらの鱗粉を作ることにするのかを決める仕組みを知るためにはどう攻めたらいいだろうか。外から操作を加えて,その操作に対する反応の仕方から,正常な仕組みを推測するという方法が考えられる。細胞が間違った色の鱗粉を作ってしまうような操作を加え,その時の鱗粉細胞の変化を調べる。そこで変化した何かが,細胞の位置に応じた正しい色の鱗粉を作らせているものであると推測するわけである。

蛹になって間もない頃に,蛹の翅の将来黒くなる領域で少しの細胞を焼き殺すと,成虫になった時に,黒い領域中に白斑ができた。禿げたのではなく,黒い鱗粉の代わりに白い鱗粉ができたためであった。傷口の周辺の鱗粉細胞は,間違った色の鱗粉を作ってしまったのである。この時鱗粉細胞に何が起こったのか。調べてみると鱗粉を作るためのステップが周囲の細胞よりも少し遅れていた。発生の進み方が遅れてしまったらしい。皆で足並みそろえて進んできたのに,途中で足踏みしてしまい,まわりより数歩遅れたまま進むことになった細胞たちが間違った色の鱗粉を作ってしまったようなのだ。私は発生が早めに先に進んでいるか,遅れているか,その違いが白黒どちらの鱗粉を作るかの別れ道になるのではないかと考えた。

そこで,正常な場合でも白い鱗粉を作る鱗粉細胞は黒い鱗粉を作る鱗粉細胞より発生が遅いのかと思って調べてみたところ,結果は逆であった。つまり,初めから白い鱗粉を作る予定の細胞は,黒い鱗粉を作る細胞よりも発生が早く進んでいたのである。

これは一見矛盾するかのように見える。しかし,発生の進み具合の,ある決まった範囲にある細胞だけが黒い鱗粉を作ると考えれば説明できるのではないだろうか。つまり,最初,鱗粉細胞は何色の鱗粉を作れという指令を受けているのではなく,領域ごとに発生の進行が数歩先に進むか,遅れて進むかだけが決められている。そして,ある瞬間,「ここからここの発生段階の範囲に入っているものだけは黒,それ以外は白の鱗粉を作れ」という命令を受ける。黒くなるはずの領域中の細胞でも,何かの原因で進み方が遅れてしまい,黒を作る発生の段階の範囲に入れなかったものは白い鱗粉を作るようになってしまうのではないだろうか。

これはまだ実体が伴わない仮説である。しかし,どうやって模様ができるのかという大きな問題に対して,領域ごとに鱗粉細胞の発生の進み方を調節する仕組みを調べればよいという具体的な攻め方が見えてきた。これは模様全体を一つの絵として眺めるのではなく,一つひとつの鱗粉細胞に視点を合わせたことで見えてきたものである。

蝶の翅の模様を見る時には,蛹の中で鱗粉細胞たちが作った鱗粉によるモザイク画なんだと思って見てもらうと,また面白いのではないかと思う。

③ 正常なモンシロチョウの翅。
④ 蛹の時に手術したもの。手術した部分の周辺が白くなった。
⑤ ④の矢印の部分の拡大写真。黒のかわりに白い鱗粉ができている。
(写真=②~⑤高山絵理子)

(たかやま・えりこ/元生命誌研究館奨励研究員,現国立遺伝学研究所研究員)

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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