Special Story
深海 — もうひとつの地球生物圏
深海にすむ動物たちは研究者にとって興味深い問題の宝庫だ。
シロウリガイやシンカイヒバリガイなど深海の還元環境に固有の動物群は,深海底に不連続に分布している。それらの動物たちは,どのような歴史を経て今のような分布をするようになったのか?それぞれの動物の種分化の過程を,地理分布や分散能力,海底環境の歴史と対応させて調べることができれば,深海生物の進化の研究に貴重な知見がもたらされるに違いない。
我が国でも,いくつかの動物群については,形態に基づく分類と,分子系統学による研究の両方が行なわれている。ところが,もっとも代表的なハオリムシ(チューブワーム)類に関しては,さまざまな理由で分類が大きく遅れている。日本に分類の専門家がいなかったことや,形態だけから種の判別をするのが困難であることも一因だが,結果として日本産のハオリムシ類については,正式に記載された種がまだないということになってしまった。
種名がわからなくても,遺伝子を使った系統樹を書くことはできる。そしてそれは新しい種の分類に役立つ情報となるだろう。そこで私たちは,日本周辺の6ヵ所で採集された35個体のハオリムシについて,ミトコンドリアDNAのチトクロームオキシダーゼⅠ領域の配列に基づいて系統解析を行なった。(図)。
日本周辺の6ヵ所で採集したハオリムシ類のチトクロームオキシダーゼⅠ遺伝子による系統関係。△□☆はそれぞれ異なる属を表し,一つひとつの記号がそれぞれ1個体に対応している(全部で35個体)。色は採集地点を示す。(小島ら〈1995〉,Kojima et al.〈1997〉を改変)
得られた結果を見ると,解析した個体は,日本以外で知られていた3つの属に対応する3系統に分かれ,全体で7つのクラスターを形成した。これらを暫定的に種と考えると,個々の種の分布範囲は比較的広く,空間的距離より水深によって制限されていることがわかる。この点,同じ還元環境にすむシロウリガイ類では,多くの種の分布域が,1つの海域に限定されているのと対照的である。ハオリムシ類は,プランクトン幼生による高い分散能力をもち,深海底に新しくできた還元環境にもっとも素早く侵入することが知られている。この性質が地理分布にも反映されているのだろう。
最近,やはり分子を使った解析により,ハオリムシ類を含む有鬚(ゆうしゅ)動物が環形動物,とくに多毛類(ゴカイの仲間)に近いことがわかってきた。それに呼応するように,多毛類の専門家の三浦知之博士(鹿児島大学)により,鹿児島湾産のサツマハオリムシ(仮称)が,近く日本のハオリムシとして初めて記載される。今後,形態と分子の二人三脚で,日本のハオリムシ相が明らかにされていくことであろう。
(こじま・しげあき/東京大学海洋研究所助手)
※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。