Special Story
ゲーリング博士が語る 目の進化の物語
眼は動物の進化の途中で獲得された視覚器官である。眼のお陰で我々はものの形を見たり色を楽しんだりすることができる。眼の水晶体(レンズ)は光を眼球の中に導き屈折させて網膜の上に像を結ばせるはたらきをしている。水晶体の中はクリスタリンと呼ばれる数種類の可溶性の構造たんぱく質がつまっており、水晶体の重量の20~60%を占めている。それでは、これらのクリスタリンの遺伝子は進化の途中でどのようにしてつくられたのだろうか。
クリスタリンの組成は動物によって異なっている。まず、脊椎動物は2種類のクリスタリン(αとβ)を共通してもつ。これに加えて哺乳類はγ(ガンマ)クリスタリン、また鳥類や爬虫類はδ(デルタ)クリスタリンを持っている。さらに鳥類でもアヒルなどには、α、β、δに加えてε(イプシロン)とτ(タウ)と呼ばれるクリスタリンが存在する。
δ-クリスタリンたんぱく質に特異的に結合する抗体を用いたニワトリ胚レンズの染色。(写真=加藤和人)
1987年、アルギニンや尿素の合成を行なう酵素の一つであるアルギニノコハク酸リアーゼ(AL)のアミノ酸配列が、ニワトリのδクリスタリンとよく似ている(64%同じ)という驚くべき事実が見出された。その後の研究により、両生類から爬虫類、鳥類へ進化する頃に、この酵素の遺伝子の重複が起こって2つになり、その片方が水晶体で強く発現する能力を獲得して水晶体構造たんぱく質専用の遺伝子になったことがわかった(下図)。つまり、δクリスタリン遺伝子はすでにあった酵素遺伝子を流用または盗用してつくられたのである。
多様なクリスタリンの祖先は、みな酵素
いろいろな動物のクリスタリン遺伝子の由来。脊椎動物と無脊椎動物では、目の構造は大きく違うが、どちらも酵素の遺伝子をクリスタリン遺伝子に借用している。「同一」は、酵素そのものがクリスタリンとしてはたらくことを、「類似」は、酵素遺伝子が重複してできた別のよく似た遺伝子がクリスタリンを作ることを示す。
(表作成=森正敬)
さらに、アヒルのεクリスタリンやγクリスタリンなどのいくつかのクリスタリンは、代謝酵素そのものであることが明らかとなった(表)。これらのたんぱく質は多くの組織、細胞で酵素として代謝を担う一方で、水晶体で大量に合成されてクリスタリンとしてもはたらいている訳である。このように、酵素遺伝子を借用するのに、遺伝子重複を用いる場合と、一人二役(gene sharing)ですませる場合と2つの戦略が用いられている。いずれにしても生物進化のかなり短い期間に、酵素遺伝子が機能のまったく異なる水晶体の構造遺伝子に進化したというのは驚きである。遺伝子の分子進化は予想以上に融通無碍である。
レンズ遺伝子の進化
鳥類と爬虫類が持っているδ-クリスタリン遺伝子は、もともとアルギニノコハク酸リアーゼ(AL)という酵素の遺伝子だった。遺伝子重複でできた2つの遺伝子のうち、一方がレンズではたらくクリスタリンで、もう一方は酵素としてはたらく。(図=森正敬)
(もり・まさたか/熊本大学医学部分子遺伝学教授)
※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。