プロローグ:皆は腹をかかえて笑った

カルシウムがトロボニンというたんぱく質と反応することで、筋肉が伸びたり、縮んだりするということは、今では教科書に載っている常識である。しかし、30年以上前、私が筋収縮カルシウム説を主張していた頃は、世界のほとんど誰も信じようとしなかった(という話は今では誰も信じないくらい、当たり前のことになっている)。

1962年ボストン郊外で大規模な筋収縮の国際会議が開かれた。私は、私とともに筋収縮のカルシウム説を唱えている唯一の同志アンネマリー・ウェーバーとともに、この会議に臨んだ。私は筋肉がカルシウムによって収縮することを示す十分な実験データを得ている、と自信満々だった。だが、会議は私の思惑とは正反対の方向に進んだ。この会議の現場に居合わせた故ジーン・ハンソン(筋肉の滑り説をH.ハックスリーとともに唱えた)は、そのときの風景をきわめて印象的に書いている。

“座長のハンス・ウェーバーが「討議の結果、カルシウム説は明らかに否定された」と宣言するや、娘のアンネマリー・ウェーバーは激昂して絶叫し、エバシは日本語でわめいた。皆は腹をかかえて笑った”

座長は、皮肉なことにアンネマリーの父であり、当時筋研究の泰斗として世界に知られるハンス・ウェーバーだった。アンネマリーが激昂して絶叫したのも本当だし、私がわめいたのも本当である。しかし、いかに興奮したとはいえ、日本語を使うはずがない。私の英語が誰も理解できなかったのである。この会議で、2人はまさにピエロだった。厳格な父親のウェーバーは、娘が変な日本人に引っ掛かって困っていると言っていたそうだ。

私にとって人生とは何だろう。よく皆から、お前は筋収縮カルシウム説を勝ち取ったではないかと言われる。でも本当のところ、かかる火の粉を振り払うのに懸命なだけであった。そういったパッシブな人生の中で、唯一闘争精神に燃えたのは、このボストンの会議の直後であった。

東大医学部時代。
当時から、薬理学の熊谷研究室に入り浸っていた。

小学生時代
一生を通じて算術の能力はこの頃が最高だった。

”一高精神”を培った頃。

一高精神 今を燃やし尽くす

私は東京の麹町で生まれ、育った。江戸っ子ではないが、東京っ子の典型である。子供の頃は算術がよくできた。人間、小学校の4~5年くらいで能力最高になるものだ。それもやればできるというだけのこと、けっして面白かったわけではない。飛び級で中学に入って、特別の目で見られることが嫌になり、2年生の時から3年間学校の勉強をほったらかして剣道と水泳だけやった。剣道を始めた原因は体育の先生に、「こんなまずい子はみたことがない」と面罵されて発憤したからである。4年生の終わりにお情けで初段にしてもらった。奇跡的に一高入試に引っ掛かり、その先生の挨拶に行ったら、「あれだけやったら普通は3段になっていたはずだ」と言われた。水泳もポチャンポチャンとやるくらいで終わった。一高に入って撃剣部に入ったが1学期で逃げ出した。稽古はきつくなかったが、運動部の厳しい雰囲気には耐えられなかった。

一高では、哲学と小説、自然科学では数学のみが読むに値する書物とみなされていた。それ以外のこと、とくに学校の勉強は、”俗物”のやることとして侮蔑の対象となった。今という時を燃焼し尽くすことが一高のモラル、場合によってはそこで人生を終わることさえ理想とされた。「この世のいのち一時にこめて三年をたゆみなく、淋しく強く生きよとて…」。寮歌がその気持ちを表している。だから東大に行くことも堕落だと思われた。私も例にたがわず、岩波文庫の古典の頁を次から次へとめくった(読んだのではない)。西洋的な教養を基盤にしながら、一方で文武両道を賞揚する、今の言葉でいえば保守反動と言ってもよいような気風、これが一高独特のバンカラであった。

筋肉が収縮するしくみ

筋小胞体の端末槽に蓄えられているカルシウムが神経からの電気刺激によって遊離し、アクチン繊維上のタンパク質(トロポニン)と結合すると、アクチン繊維とミオシン繊維の滑り込みが起きる。この図は、江橋博士が自説の説明用として作成した記念碑的な作品。

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カルシウムの貯蔵庫・筋小胞体(撮影=パラーディ)
(a)縦長の小胞が筋小胞体の破片。
(b)(c)大きく丸く見えるのは小胞体の端末槽。

電気生理から生化学へ

医者になるつもりはなかった。が、いろんな事情で東大医学部に進んだ。夏休みに基礎の研究を垣間見るというので、振り分けられて平滑筋の運動を無麻酔犬を使って研究中の熊谷洋先生のところへ行き、そのまま一生居座ってしまった。一見紳士、飲めばべらんめえの熊谷先生は、人生に関することは厳しかったが、弟子は無茶苦茶に甘やかした。

海軍軍医になり、上海での捕虜生活から復員し、芋の買い出しと靴の修理に明け暮れていた1947年の秋、“エレキ”をやってみないかという先生の勧めで電気生理をしばらく学んだ。先生は平滑筋の電気生理をやって欲しかったのである(あとで考えるととんでもない難問であった)。しかし、電気生理学を現代科学として完成させたといわれるホジキン(イギリス)のナトリウム説についての論文を読んで、「世の中には及びもつかない人がいる」とショックを受けた(この時の共著者はカッツであったが、この説はその後A.ハックスリーの協力で完成される。A.ハックスリーは前出のH.ハックスリーとは独立に滑り説を唱えた)。すぐさま熊谷先生の部屋に行って、「電気生理は終わりました。もうあの仕事はやめます」と言った。先生は黙って上を向いておられた。

私の「その後」を決めたのは、ビタミンC発見でノーベル賞をとったセント=ジェルジの『筋収縮の科学』の海賊版だった。骨格筋から抽出したたんぱく質であるアクチンとミオシンが、生体反応のエネルギー源といわれるATP(アデノシン三リン酸)を与えると収縮するという見事な実験を書いたものだった。興奮して2日で読み終えた。当時は、後に自分が一生そのことに関わるなど思ってもみなかったが、とにかく私は生化学に転向し、セント=ジェルジの追試をすることにした。

骨格筋をグリセリンに漬けて、アクチン、ミオシン系だけにしたグリセリン筋は、彼の考案によるもので、筋肉実験に欠かせないものだった。非常に扱いやすく、生化学的研究を始めたばかりの私にはうってつけだった。私は、グリセリン筋にATPをかけて収縮するのを確認したが、ある時、ATPを除いても弛緩しないことに気がついた。セント=ジェルジは収縮のことだけで、弛緩のことには触れていない。可逆的でない収縮は生理的ではない!何とかして弛緩させようと数ヶ月の悪戦苦闘の末、最後にすり潰した蛙の筋肉を遠心器にかけて分離し、上澄みをいったん収縮したグリセリン筋に加えてみた。筋は見事に弛緩に転じた。1952年、弛緩因子の発見である。『Nature』に同じような記事が先に発表されていることがわかり、プライオリティは逃したが、あるレベルの仕事したのだとの満足感があった。後になって、この弛緩因子は、カルシウムを取り込んだり、放出したりして、細胞内のカルシウム量を調節している筋小胞体であることがわかる。今にして思えば、この時私は筋収縮カルシウム説の入口に立っていたのである。

筋肉のもう一つの主役 トロポニン
江橋博士が発見した筋収縮のかなめ、トロポニンの電子顕微鏡写真。線上に見える粉々がトロポニン(ばらしたアクチン繊維を抗トロポニン染色したもの)。(写真=大槻磐男)
アクチン繊維上に乗ったトロポニン(図=大槻磐男、筋収縮に関する国際会議の論文集の表紙に使われた)。
72年学士院賞恩賜賞受賞の際、昭和天皇への説明に用いたトロポニンの模型を手に。

リップマン先生

筋肉がカルシウムによって縮むのではないかということについては、あのリンゲル液で有名なリンゲルの楽しい話がある。1883年、蛙の心臓を取り出して食塩水中に吊して、その収縮を見ていたリンゲル先生は、ある日小使いが休んだので自分で食塩水を作る羽目になった。ところが、調べたところ、いつもは収縮してくれる筋がその日に限って、ちっとも縮まない。小使いが蒸留水のかわりに水道水を使っていたのだとわかる。そこでリンゲル先生、水道水を分析したところ、カルシウムを含んでいた。蒸留水にカルシウムを加えると筋はちゃんと動いた(この話は昔の人は知っているが、今は生理学が不評で、誰も言わなくなった)。

その後、1940年代になってハイルブランが蛙の筋肉を切断し、カルシウムの液に入れたところ、どんどん縮んで1分足らずのうちに数分の1の長さになった。彼はこのことから、カルシウムが筋収縮の決め手であると主張したが、筋生理の帝王ヒル(イギリス)が、蛙の筋肉細胞内をカルシウムが移動する時間を計算、表面から中心まで1秒以上かかることになり、外液のカルシウムが収縮を起こすことは無理と断じ、カルシウム説は急速にしぼんだのである(だが後に、バイパスが発見され、この問題は解決した)。

私は、筋肉の収縮弛緩にカルシウムが関係するのではないかという漠然とした予感があった。その頃、Eポツラーによって、カルシウムを吸着するキレート剤(合成試薬)がグリセリン筋を弛緩させるという報告が出された。私は数種のキレート剤についてカルシウム結合能と収縮弛緩作用の相関関係を調べたが、狙った結果は出なかった。他にも考えられることは何でもやったが、結果はすべてネガティブであった。ついに筋収縮の研究を諦め、新たな活路を求めてロックフェラー研究所のF.リップマン教授のもとに留学した。

リップマン先生は、高エネルギーリン酸結合の概念を確立し、ATPが代謝の世界の通貨であることを喝破した今世紀最大の生化学者である(ノーベル賞は別の理由で貰った)。彼に会った恩師の熊谷先生が「彼こそ本当の学者だ」と感動し、私によそへは行くなと宣言された。「頭をたれてもぐもぐと遠慮がちにしゃべり、そのうち声が次第に小さくなり、やがてはにかみのうちに消えてしまう」というような人だったが、どのような発見も彼の枠組みの中に取り込んでしまうようなスケールの大きな学者だった。そんな洞察力のある大学者でも、カルシウム説には否定的だった。筋収縮の問題に絶望して別の研究をしたいと申し出た私に、リップマン先生は弛緩因子は面白いテーマだから続けるようにとの返事。そこで「カルシウムが収縮弛緩に関係していると思う」と言うと、「私はそうは思わない。が、したいようにしなさい(I don’t think so, but you may do it)」と言ってくれた。リップマン先生が、諦めかけていたテーマを続けさせ、その上で自由に研究させてくれなかったら、私のあの「発見」はなかったと思う。

トレードマーク 細胞内外の 無機イオン分布図

細胞の中は細胞外と較べると、ナトリウムイオンとカリウムイオンの濃度比が逆転しているばかりでなく、カルシウムイオンがほとんど存在しない。こうした内外の濃度差が生じるような袋が原始海洋に出現した時が生命の始まりと見てよい。博士はこの図をトレードマークのように愛用している。

国際生物物理学連合の主催した国際会議(メキシコシティ、1981年)で。連合会会長としてインタビューを受ける。

ロックフェラーのある真夜中

1959年2月の真夜中、私はロックフェラー研究所で、突然、「マグネシウムだ」という考えが頭に浮かんだ。キレート剤のカルシウム結合能を日本で計算した時、溶液に含まれているマグネシウムの干渉を計算に入れてなかったのだ。胸が高鳴った。私は有名なロックフェラーの図書館に駆け込み、キレート剤のマグネシウムに対する結合定数を調べた。それをもとに計算し直すと狙った通りの数値を示した。カルシウム結合能が高いキレート剤ほど筋弛緩作用が大きい。この結果はまさに筋収縮カルシウム説を裏づけていた。

リップマン先生は、「たぶん君は正しいのだろう。しかし私はカルシウムは好かんのだ(You may be right, but I don’t like calcium)」。それでもそれはまだ好意的なほうで、当時の生化学者たちの中には、「おまえはまだそんなばかなことを信じているのか(Do you still believe that claxzy idea?)」とまで言う人もあり、世の中の生化学者はこぞってカルシウム説を否定していた。このデータを携えて臨んだ1962年のボストン会議で私はそのことを思い知らされた。

カルシウム説が本当に認知されたのは、さらに3年後の65年、カルシウム結合能力の極めて高いたんぱく質を私が発見、トロポニンと名づけてからである。筋肉は、いつもバネのように収縮しようとしていて、トロポニンはそのバネを抑えるブレーキ役としてはたらいている。筋小胞体からカルシウムが放出されて筋肉内の濃度が10-5モルになると、カルシウムがトロポニンに結合してブレーキがはずれ、筋が縮む。逆にカルシウムが筋小胞体にとりこまれて10-7モルと低くなると弛緩する。

後年(1967)になって、私が、ロックフェラーで講演を行った時、リップマン先生は、当時自分の理解が足りなかったと聴衆に向かって話された。異例のことであった。

筋収縮の謎に挑んだ 科学者たち
S.リンゲル
リンゲル液で有名な生理学者。19世紀末すでに、カルシウムが蛙の心臓を収縮させることに気づいていた。
アルバート・セント=ジェルジ
著書『筋収縮の科学』が、江橋博士に筋収縮の研究への道を開いた。
H.ハックスリー(左)とA.ハックスリー
筋肉がアクチン繊維とミオシン繊維の滑り込みで縮むことを最初に提唱した。A.ハックスリーはまた、神経興奮ナトリウム説でノーベル賞を受賞。
F.リップマン
“科学の詩人”と評された今世紀最大の生化学者。江橋博士は彼のもとでカルシウム説を確立した(84年、河口湖で開かれた85歳誕生記念シンポジウムで。夫人と)。
ウッズホールの海洋研究所で。筋収縮カルシウム説の先駆けとなった生理学者E.ボツラーと江橋博士。

生命の起源とカルシウム

カルシウムは地球上どこにでも存在するありふれた無機物である(生体では骨はもちろん大切だが、骸骨という言葉の通り死の影を帯びている)。そんなものが生き物の体の大事なはたらきをしているはずがないという考え方がカルシウムの不人気の背景にあったのだと思う。しかし、その後、筋肉以外の分野でもカルシウムの研究が進められるようになり、今では、神経伝達や酵素の活性化など、生体内のほとんどあらゆる部分でカルシウムが重要な機能を担っていることが明らかになってきている。カルシウムは、生命の基本に深く関わっている物質なのである。

ところが、細胞の内部深く、遺伝情報が発現する現場である核の中では、カルシウムのはたらきが見えない。これはどうも生命の起源に関係していると思われる。カルシウムの制御因子としてのはたらきは、カルシウムがないところでこそ機能するわけで(図9参照)、細胞形成以前、遺伝情報の担い手であるRNA-DNAが剥きだしの状態でカルシウムのふんだんにある海を漂っていた時には、カルシウムが制御因子として機能することはなかった。太古の海水の中に、内部を10‐7モルという大変低い濃度に下げる機能をもった袋として最初に細胞が発生した時から、カルシウムは生き物の一部となったのである。

私は、もともと無機化学が好きで、カルシウムには抵抗がなかった(その代わり生物は好きではない。小学校の時、理科は一番苦手であった)。生命の基本に触れることを最初から目指したわけではもちろんない。結果としてそうなっただけのことである。半世紀にわたって研究を続けてきたのも、実験をしていて遭遇する馬鹿なことが一つ一つ気にかかってほっておけなかったからである。道筋が決まると急に意欲を失ってしまう。行き当たりばったり、偶然にまかせて、その時自分が面白いと思うものに身をまかせていく。「この世のいのち一時に…」というようなロマンチックな人間にはほど遠いが、ほかのことに興味がないということで結局そうなってしまった。これからも同じ道を辿ることになりそうである。