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芸術交流計画「日・仏/共鳴する場」

吉川恭生

日本とフランスのアーティストがお互いの国で共同生活・共同制作を試みる新しい芸術交流が進行を始めた。
昨秋にはパリで日本人による作品制作と展示会が行なわれ、4~5月には京都でフランス人が作品の制作・発表を行なう。


私は以前から、「交流」とか「国際」とかいう言葉には、なにか真実を隠すような曖昧なベールがかかっていると思っていた。大学生活をジュネーブで過ごしていた頃、ともすると東洋の神秘である日本を背負わされることが多かった。コスモポリタンな世界では、民族性、国民性という安直なワク組みのもとで自我が確立されていく。越えることのできない境界を自分でつくり、それ越しで「交流」とか「国際」を意識していたからに違いないのだ。

パリ・バスティーユ地区の美術家グループ「ジェニー・ド・ラ・バスティーユ」は、地域の町並み保存運動に呼応して、アトリエを開放する「開かれた扉」展を開催してきた。私自身も日本における都市空間の空洞化を愁え、彼らと同じような問題意識をもっていた。国や個の境界を超えて、彼らとともに芸術や社会、環境などの問題を作品を通じて交流する場をつくれないだろうか。それは、「国」や「個」に縛られていた私自身の原体験を壊すことにつながる。こうして、日仏の作家が互いの国で生活をともにしながら作品をつくる芸術交流計画「共鳴する場(Without Identity Without Frontier)」が生まれた。

言語も習慣も信条も異なる人間同士が、わずかな時間を共有するだけで、本当に国や個人という境界を超えることができるのか。その不安は、「ジェニー・ド・ラ・バスティーユ」の作家たちとパリで会った途端に氷解した。彼らも私のアイデアに強く共鳴し、こうして日仏30人ずつの芸術交流計画がスタートしたのだった。
 

昨年10月、まず日本側の参加者がパリを訪れ、パートナーのアトリエや住居に泊まり込んで制作を始めた。実際には滑稽ともいえるさまざまなことがあった。ワイルド・ライフが好きでキャンプ道具を持っていった彫刻家は、天蓋つきで純白のダブル・ベッド、ペルシャ絨毯の部屋を用意され、なかなか寝つけなかった。猫嫌いが猫好きのパートナーにあたったり、夜型人間が朝型人間の家に世話になることになったりした。あるきれい好きな女性は、ほこりっぽいアトリエの床に厚さ3cmのマットだけを与えられ、パートナーと大喧I華になった。あとでわかったことだが、彼女のフランス側パートナーは、日本人は床に寝るものと思ってわざわざマットを用意してくれたのだそうだ。

①パリ側での作品展示風景。

ときには、郊外できのこ採りやポニーの世話を楽しみながら村のカフェテラスでフランスの核実験について議論し、夜のバステイーユを徘徊しながら愛だ!愛だ!とフランス語で叫びながら両手いっぱいの花火をばらまく。こんな1ヵ月の生活のなかで、あるものは広島の被爆の惨状をスライドで写し込んだシラク大統領の墓をつくった。またあるものはエッフェル塔の礎石の文字を魚拓風に写し取ろうとしてテロリストに間違われ、警察に連行されたりした。

同じような交流を、今度はフランス側のアーティストを京都に招き、日本側の提供したアトリエ・宿舎で作品を制作してもらうことになっている。展示会場は、京都市の中心にあり、廃校に追い込まれた立誠小学校の旧校舎である。彼らは日本という場、そして日本のアーティストとの交流を通じて、どんな作品をつくりあげるのだろうか。お互いがお互いを認め合いながら、国や人種、芸術の分野などあらゆる境界を超えて、個と個の「共鳴体」のようなものが生まれてくることを願っている。

 

②日本側の舞台となる京都・立誠小学校旧校舎(階段部分)。
③同(廊下風景)。

(写真2・3=小笠原圭彦)

 

④パリ側のプロジェクトリーダー、アンリ・ガマ氏と吉川恭生氏。
⑤文化を超えた交流の輪が広がる(パーティで巻き寿司をふるまう日本のアーティスト)。

吉川恭生(よしかわ・やすお)

1959年滋賀県生まれ。美術家。18歳からイタリア、スイスに留学。イタリア、フランスを中心に作品発表を行なう。芸術と社会のかかわりをテーマに89年から芸術家集団BAOを結成、現在、芸術計画Z・A代表。

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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