Lecture
岩窟の中の進化 溝堀り型のアリジゴク考
オーストラリア第三の都市ブリスベンから北西に約500km入ったカナーボン渓谷に、 溝を掘る奇妙なアリジゴクがすんでいる。 現場に何度も足を運んだ第一線の研究者が描き出す 岩窟の生物の知られざる生態—。
カナーボン渓谷は、冷涼なイメージとは遠く、雨季である夏場の3~4ヶ月以外はほとんど雨も降らず、高温と乾燥のため、日中歩くのはかなりつらい。
通常、アリジゴクの巣穴は円錐形の窪地であるが、この渓谷には、巣穴のみならず、そこから放射状に溝を掘るという、変わったトラップをつくるアリジゴクが生息している。その生息場所はきわめて特殊な環境だ。砂岩からなる垂直の岩壁の基部が洞窟上にえぐられていて、その半洞窟の地面には粉のような細かな砂が堆積している。
オーストラリア・カナーボン渓谷。溝掘り型アリジゴクは、この一帯にしか見つかっていない。
アリジゴクの掘った溝が半洞窟の壁までとどいていれば、壁に行く手をはばまれて迂回しようとする小動物は、その溝を横切らざるを得ない。つまり岩壁の基部という特殊な環境において溝方式は、エサとなる虫を巣穴に誘導するうまい仕掛けである。
(左)粉のような細かい砂地に無数にできた溝掘り型アリジゴクの巣
(右)オーストラリア先住民(アボリジニ)の岩刻画。この下にも溝掘り型アリジゴクが見つかった。
細かな砂は、溝をつくるのに適していると思われる。ふつう、雨は巣穴を破壊する大きな原因だが、半洞窟であるためその心配もない。
アリジゴクは脈翅目ウスバカゲロウ科の幼虫を総称した言葉である。とはいえ、巣穴をつくるのはごく少数で、多くの種は何もつくらず、ただ砂の下でアゴを開いてじっとエサの来るのを待っている。
ウスバカゲロウ科は、ツノトンボ科やオーストラリアやニューギニアにいるNymphidaeというグループと近縁であると考えられている。それらの幼虫は、いずれも巣穴をつくらずに待ち伏せるタイプに属する。それゆえ、一部のウスバカゲロウ科幼虫でみられる巣穴をつくるという行動は、巣穴をつくらずに待ち伏せる祖先型から、ウスバカゲロウ科のなかで進化したものであると推論できる。
溝掘り型アリジゴクが巣をつくっていく連続写真。中央の穴を掘ってから外に向かって溝を掘り始める。ある程度まで掘り進むとUターンして、溝を整えながら中央にもどる。1本の溝に1~3分かかる。溝の長さや方向、掘る順序には、ある種の法則性がある。
巣穴をつくる行動は、進化の過程において、決して一朝一夕に完成されたものではないだろう。けれど現在のところ、巣穴形成型と非形成型のアリジゴクをつなぐ中間段階のものは存在しない。私は、その中間的なものとして、溝だけを掘ってその一端で待ち伏せするアリジゴクが、過去にいたのではないかと想像していた。そんな折、カナーボン渓谷で溝つきの巣穴をつくる奇妙なアリジゴクが発見されたという論文に接した。
溝をつくることから、このアリジゴクは私の想像する中間段階に当たるのかもしれないと思い、1990年にカナーボン渓谷で第1回の調査行を試みた。その結果 、次のような点で中間段階的な種というよりも、むしろより進化というか特殊化した種であろうという結論に達した。
第1の理由は、本種がトラップをつくるとき、まずスリバチ状の巣穴をつくり、空腹度が増してはじめて、溝をつくるという事実である。もしこれが現在見られるアリジゴクの祖先種なら、溝と穴は同時につくるか、または溝だけつくるかのどちらかであるべきだ。
第2の理由は、溝をつくることでエサとの出会いの頻度が高まるため、捕食効率が非常によいということである。エサを容器に放し、それらがどのようにアリジゴクに捕らえられるかを観察した。するとエサとなる虫は、まず溝に落ち、溝にそって歩いて、ついには穴の中央で待ちうけているアリジゴクに捕まった。エサが捕まるまでの時間は、溝なしの巣穴より溝つきの巣穴のほうが、2倍以上短かった。
昨年11月、再度訪れる機会を得て、今度は現場で溝の効果を調べてみた。地面に2種類のトラップ(落としワナ)を2日間設置し、どういった節足動物が入ってくるかを比較したのである。片方のトラップは、ただ円筒容器を地面に埋めただけであるが、もう一方のトラップには、埋めた容器から長さ40cmの溝を四方にのばした。
羽化直後の溝掘り型アリジゴクの成虫(C.manselli)。
夜10時ごろ羽化し、近くの枝などで翅をのばす。
合計64個体の節足動物がこれらのトラップで捕獲され、双翅類(ハエ・カの類:34%)、甲虫類(22%)、アリ類(19%)の順で多かった。体調2mm以上のものに限ってみると、トラップ当たりの平均捕獲数は、溝なしが1.25匹であったのに対し、溝つきが2.88匹であった。やはり溝をつくることの利点は大きいといえるだろう。
私は、溝掘り型アリジゴクを求めてオーストラリアのあちこちを歩いたが、目下のところ他の場所では未発見である。どうも本種は、カナーボン渓谷という特殊な環境に生息する、特殊化したアリジゴクと言えそうである。
頭部で砂をはねとばしながらバックしていく。掘り進む溝の先端部の底に大アゴが見える。
(まつら・としあき/京都教育大学教授)
※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。