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生命の波の色さがし
―古代蓮染<蓮の舞>
沼地を覆った大きな葉の群れを抜け出て つぎつぎに咲きそろった紅色の花の群れは 遙かな時空を超え 古代の平野に生を得た人々の ゆらめく心の炎のように 赤く燃えた
詩「古代蓮の沼」より
行田の古代蓮
およそ二千年の間
地中深くに埋もれたまま
闇の中で かすかに小さな生命の火種を
燃やし続けた蓮の種は
突然発掘され 新しい世の光を浴びた
硬い果皮を自力で裂き割り 水を得て芽吹き
沼地より高高と伸び出た茎の その頂には
まぼろしの古代蓮そのままに
紅色に輝く大きな花が生まれた
1971年、さきたま古墳群で知られる埼玉県行田(ぎょうだ)市の造成工事現場から、土器類に混じって蓮の種が出てきた。誰も気づかないまま2年がたち、小針沼と呼ばれていたその場所に立葉が伸びあがり、紅色の花が咲き誇った。考古学者たちは2500~3000年前の古代蓮であると推定した。
蓮の種は果皮が非常に硬く、水を通さないので、普通は自然発芽しない。長い間、地中の闇の中で休眠していた種が、発掘という力を呼び寄せて地の底から浮上し、硬い果皮に亀裂を走らせ、水を得て発芽し、古代のままの花を咲かせた。それこそあらゆる生き物の蘇生、永遠の継続、生命の神秘を思わせた。
雨の日、葉に受けた雨水は表面のたくさんの突起(毛茸)にはじかれ水滴となり、銀色に光りながら盃のような葉の中心に集まって水たまりをつくる。葉と茎の付け根(荷鼻)は息をしており、陽が差すと水たまりに小さな気泡の湧き出るのが見られる。葉は水の重みでやがて傾き、そして葉から葉へ、水面へとしたたる水の音が、沼のあちこちから湧きたち響き合う。それは古代蓮の沼地が奏でる音楽、宇宙の水の音の体感、であった。
― 一つの葉に一つの花が咲くのです
と 蓮の博士が言った
盃型の大きな葉は
音もなく降る天からの水を受けるや
それを たちまち銀色の小粒に変え
転ばせながら くぼみに集め
おのれの息を 無言のまま吹き込む
そして すぐさま傾き
傍らに立つ花茎に その銀色の魂を注ぐ
蓮の世界の 聖水を注ぐ儀式―
葉を刻み、煮出し、その液に布を浸して染めるという作業は、ただ染まればよいというのではなく「古代蓮の生命の色」でなければならない。蓮を見つめ心耳を澄まし、次に行うべき作業を蓮に聞くのだ。色素の抽出、染色、媒染、再染色と繰り返すなかで、最初に蓮からいただいた色は黄色、それは古代の沼地に降り注いだ「黄金の太陽の色」であった。
作品(素材は絹)
①②⑧~⑩ スカーフ
③④ 祇紗
⑤~⑦ ポケットチーフ
(写真=①~⑩外賀嘉起)
ある夜半、疲れてベッドに入るや、閉じたはずの目がはっきりと見たのです。無限の宇宙の暗黒の沼地に私は横たわり、高高と腕を伸ばしている。その頂には紅色の蓮の花、ひたすらに葉を刻み続けた私の指の一本一本が、許された者のように花びらと同化し、燐のように光りながらゆっくりと咲いていくのを――。
古代蓮染は私の夢仕事となり、太陽の色に始まって今ではオレンジ、茶、グレー、オリーブ、花の色を思わせる薄紅色まで、蓮からいただけるようになりました。
古代蓮染とは、生命の波の色さがしなのか――1枚の絹の小さなポケットチーフには、古代蓮の生命の炎と宇宙の水の音が染め込まれているのです。美しい紅色の花で染めようとは、なぜか一度も思わなかったが、もし花が染めよといえば、蓮沼に舞う花びらの一枚一枚を両の手に包んで持ち帰り、染めてみたい。
花の中心にある円い花托(かたく)。黄金の太陽が蓮に宿っている
滝沢布沙(たきざわ・ふさ)
埼玉県行田市生まれ。藍染・草木染デザイナー。埼玉県女流工芸作家協会会員。「藍 is 愛」の会を主宰。各作品に短い詩を添えて想いを語る。行田の古代蓮(市指定の天然記念物)を使った染色に、市長より<蓮の舞>の名を贈られた