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Special Story

共進化する蝶と食草

私のジャコウアゲハ実験記:西田律夫

私は三重県ののどかな地方で育ちました。庭のタチバナの木にアゲハチョウが毎年やってきて卵を産んでいくのです。小学校に入る前から、蛹を羽化させたりして楽しんでいました。蝶と食草との関係に興味をもったのも、そのころからだったと思います。アゲハチョウの仲間は、ウンシュウミカン、カラタチ、サンショウなどにも卵を産みますが、みんな形が違っている。蝶はどうやってこの違いを見分けているのだろうか、非常に不思議な気がしました。モンシロチョウだってそうです。キャベツにたかっても、どうしてホウレンソウにはつかないのでしょうか。

学生時代のことです。自宅の勉強部屋でジャコウアゲハを飼いはじめました。そして、ある実験をしてみたのです。畳の上に緑色をした写真フィルムの容器を置くと、飛んできて前脚でトントンとたたくのです。これは、蝶が卵を産むときによくやる行動です。黄緑か緑の色が産卵の誘因になっているのかな、と最初は思いました。しかし、彼らの食草であるウマノスズクサの根だけを置いても、ジャコウアゲハは寄ってきます。そして、この場合は色と形も葉とはずいぶん異なる根に卵を産んでしまうのです。

色はどうもたんに近くに引き寄せる効果だけのようです。私はウマノスズクサの根に何か特有の物質が含まれていて、それが産卵の刺激物質になっているのではないか、と思うようになりました。このへんからが私の研究の始まりといえるでしょうか。

ウマノスズクサの根や葉の抽出液を入れた瓶を持ってくると、口についた液のところに卵を産んだのです。いまから20年以上前のことですが、うれしかったですね。私の仮説の正しさが立証されたことになるわけですから。抽出液を濾紙につけたものでも、見事に卵を産みます。

勉強部屋での実験を進めるうちに、それまであまり調べられていないことがだんだんとわかってきました。メスの蝶の前脚の先端部には、ブラシ状の毛がはえています。この毛の部分にマニキュアを塗ってしまうと、産卵率がゼロになります。蝶はこの部分で食草に含まれている産卵刺激物質を嗅ぎ分けていたんですね。

この正体は、アリストロキア酸とセコイトールでした。この両方が含まれている植物に、ジャコウアゲハは産卵するのです。外見がどれほど違っても、蝶が自分の食草を見分ける秘密がここにありました。まさにピンポイント的な、じつに合理的なしくみです。

ジャコウアゲハもミカンのアゲハと同じく幼虫は防御分泌器官である臭角をもち、独特の匂いを発散させます。臭角の分泌液には高濃度のアリストロキア酸が含まれ、蛹の表皮ワックスや卵の表面を覆う粘着物質の中にも同物質が含まれていることがわかりました。すなわち、毒は次世代までに受け継がれるわけです。

最近では、蝶は葉の垂れ下がりなど、その植物のもつしなやかさまで察知して自分の食草を認識しているという研究もあります。おそらく蝶は、色、形、匂いなど複雑な情報を複合して食草を識別し、最後に含まれる化学物質に導かれ卵を産みつけるのでしょう。生きものの世界の巧妙なしくみには、ただ驚かされるばかりです。

①フィルムの空き缶にとまるジャコウアゲハ
②ジャコウアゲハの前肢拡大写真。ブラシ状の感覚受容毛が見える
③ウマノスズクサの抽出液をしみこませた模造葉に産卵するジャコウアゲハ
④ジャコウアゲハの食草、ウマノスズクサ
⑤幼虫。オレンジ色の臭角にアリストロキア酸を蓄えている
⑥卵もアリストロキア酸でコーティングされている

(写真①~⑤ = 西田律夫)

(にしだ・りつお/京都大学農学部助教授)

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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