1. トップ
  2. 季刊「生命誌」
  3. 季刊「生命誌」5号
  4. Eperiment 脳をのぞく ―MRIが開く新い言葉の世界―

Experiment

MRIが開く新しい言葉の世界 脳をのぞく

河村満

脳の診断技術の発達で、生きたままの人間の脳を直接のぞくことが可能になってきた。
臨床現場で明らかにされてきた、言語中枢の役割の秘密は……。


「言語中枢」という言葉をご存じであろうか。脳に興味をもち、少しでも脳に関する本を読んだことがある方にとっては、ごく一般的な用語であるかもしれない。「言語中枢」は脳の中で人の言語活動に関係した部位で、それを発見した人の名前からブローカ野、ウェルニッケ野と呼ばれている。これらの部位は左右二つの半球からなる大脳の左側にあり、ブローカ野は運動性言語中枢とも称されて、言葉を話す機能をもち、ウェルニッケ野は感覚性言語中枢として他人が話した言葉を理解する機能をもつとされている。これらの発見は、19世紀後半、それぞれの脳部位に障害をもつ患者の症状の観察と解剖脳の検討からなされた。
 
しかし、ブローカ野、ウェルニッケ野以外に、もう一つ「言語中枢」があることをご存じの方は必ずしも多くはないと思う。それは左角回(かくかい)という場所である。ブローカ野、ウェルニッケ野が人の言語活動の中で主として会話時に機能する部位とすれば、左角回はもう一つの言語活動である読み書きに関する機能をもっている。左角回は読み書き中枢とも称せられる第三の「言語中枢」であり、やはり19世紀後半フランスの神経学者デジュリヌによって発見された。デジュリヌが観察した患者は、会話には異常がないのにもかかわらず、読み書きにだけ障害が認められ、その解剖脳の病変部位は左角回に見られたのである。

「言語中枢」の発見からちょうど1世紀がたったいま、脳研究は飛躍的に進歩し、生きたままの脳をのぞくことができるようになった。磁気共鳴画像(Magnetic Resonance Imaging;MRI)という機器を使えば、生きた脳を解剖脳と変わらないぐらい精密に観察できる。写真①は、会話には異常がなく、読み書きにほぼ選択的な障害を示した日本人の患者の磁気共鳴画像である。この画像は、デジュリヌの示した第三の「言語中枢」左角回に限局した病変をもつことを明示している。日本人でも西欧人同様、左角回が読み書きの機能を持つのである。しかし、日本語には西欧のアルファベットとは異なり、仮名と漢字という二つの異なった種類の文字がある。左角回の病変の患者ではその点はどうなのであろうか。

写真①脳梗塞で、読み書きだけができなくなった患者のMRI画像。

左:上から見たところ。左下部分の角回が壊死して白くなっており、ここに読み書きの機能があることがわかる。おしゃべり機能をもつブローカ野は、左前部。壊死箇所の上部が聞く機能のウェルニッケ野。           

右:左側部から見たところ。右側の白い部分が壊死している。

私の経験した左角回に障害を持つ患者は、いずれも仮名にも漢字にも障害が見られた。しかし、私はこれらの患者とは異なり仮名には障害がなく、もちろん会話にも障害がなく、漢字の読み書きにだけ異常が生じた別の患者を診察したのである。写真②の磁気共鳴画像がこの患者の病変部位を明らかにしている。この画像は、左下側頭回後部というところに腫瘍性の病変があることを示している。この病変からの出血で、この患者はある日突然頭痛とともに新聞の漢字が読めなくなり、日記で漢字が書きにくいことに気づいた。この患者とほぼ同様の部位に病変がある患者が最近何人も報告され、どうも日本人には「漢字の中枢」とも呼んでもよいような第四の「言語中枢」があることが明らかにされつつある。

写真②:脳腫瘍で、もっぱら漢字だけの読み書きに障害の出た患者のMRI画像。

左:真後ろから見たところ。左横下のリング状の部分に障害がある。側頭葉のここに漢字の読み書き機能があることがわかる。リング内にたまった液状物質を除いたところ、この患者は機能を回復した。組織が圧迫されて機能障害を起こしていたと思われる。           

右:上から見たところ。左手下のリングが病変部

(『MRI脳部位診断』医学書院より)

南方熊楠(みなかたくまぐす)は民俗学、生物学など多彩な領域で業績をあげた在野の学者であるが、その脳は大阪大学解剖学研究室に保存されている。その解剖脳を観察した研究がずっと以前にあり、それには熊楠の脳では角回の発育がよかった可能性が示されている。熊楠は莫大な論文を読み、また書き、日本語以外の多くの言語の読み書きに堪能であった。これはいままで述べた第三の「言語中枢」としての角回の役割との関連で興味深く、また熊楠の左下側頭回後部がどうであったかということにも興味がもたれる。
 
大脳の発育と機能との関連については不明な点が多く、発育がよいからといって機能が優れているとは言いきれないが、最近の脳研究の発展はこのような夢のある話を提供してくれるのである。

(かわむら・みつる/昭和大学医学部神経内科助教授)

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

季刊「生命誌」をもっとみる

オンライン開催 催しのご案内

レクチャー

2025/1/18(土)

『肉食動物の時間』