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Special Story

サイエンティフィック・イラストレーションの世界

ビュッフェにみる西欧の科学魂:岡田 節人

いまから約15年ばかり以前のこと。フランスで制作される版画の購入がむやみと流行した。私のまわりにもセールスマンが出没し、現物持参でしきりに購入をすすめる。「わしの美の感受性は音楽しかない。美術には無感症や」といってもなかなか撃退できない。試見(CDやLDは試聴というが、美術はなんというのだろう)してみると、無感症の私にもなにやら気に入ったものもあったので、義理がてら数枚購入してしまった。

そのなかでいちばん気に入ったのがBuffer(ビュッフェ)が、甲虫を描いたものだ。2cmもない小甲虫を、なんと71.5cm×51.5cmに描いたもので、もちろん大きく抽象化されているが、なんとも画として生き生きとしていて、京大時代の研究室、岡崎市の研究所の所長室、そしていまは生命誌研究館の館長室と、掛けつづけてきた。
 

オオキノクムシ(右)の特徴をたくみにとらえているビュッフェの絵画



さて、このおおまかな姿からして、この絵はテントウムシを描いたものと思いつづけていた。岡崎時代のこと、この絵は相当に迫力があるので、研究所にお勤めの秘書のご婦人方のあいだでも目をひくこととなり、「所長の掛けている絵はなに?」ということが話題になったらしい。あるお嬢さんは、「たぶんゴキブリ!!」と断じた由。笑ってはいけない。ふだん関心のない人には、昆虫の多様性なんて、せいぜい五つか六つのグループであり、そしていまの日本では、蝶やセミ以外の、見慣れた昆虫といえばゴキブリぐらいしかないのだ。

それが、ある日所長室を訪れた、当時は名古屋大学にあった大澤省三先生(現生命誌研究館顧問)は、一見するやいなや、「あっ、オオキノコムシだ。珍しい題材だね」と断じた。私とて、甲虫には多少の造詣があるつもりだから、ゴキブリでないことはわかっていたが、やや通俗的によく知られたテントウムシということで一応納得していたのだ。

大澤先生は、こうした小甲虫には自分で新種を採集して報告するくらいの大権威者であるから、この指摘は当然といえば当然である。もっとも、ひょっとするとテントウムシダマシの仲間かも知れん、という可能性はあるという。しかし、このストーリーの告げているところは、私にはなにかヨーロッパ人の自然における態度を象徴しているかに思われてならないのだ。

第一、たかだか2cm程度の大きさの、どうといって色彩も美しくなければ、特別な姿形もしていないし、格別に珍しくもなく、ふつうの人の目にふれることとてまったくない。こうした小甲虫に美の創造の意欲をそそられた画家は日本にはいないと断じよう。クワガタムシ、カブトムシといった仲間ならあるだろうが。しかも、その珍しさ――個体数が少ないという意味でなく、人目にもつかず絶対に話題になるはずはないという意味だ――といったら、大澤省三という大権威に固定を頼らざるを得なかったほどだ。

第二に、これがテントウムシでなく、オオキノコムシと固定できるところである。絵は抽象化されているし、たぶん色彩などはBufferのイマジネーションによるものだと思う。にもかかわらず、触覚、ふ節(昆虫の脚のいわば爪にあたる)の特徴などは、明らかにテントウムシとオオキノコムシ(ひょっとするとテントウムシダマシ)とを明確に区別できるものとして、そのまま美術のなかで、正確に姿をとどめているのだ。

最近、日本の江戸時代の博物学は見直され、とくに優れた観察による正確なスケッチが話題になっている。しかし、それらはいわば図鑑としてのものだ。美術としてではない。ヨーロッパの画家が自らの創作品をつくるにあたって、このように客観的な立場でのぞむのは驚きである。付言すれば、江戸時代のスケッチ(美術でない)も昆虫についていうと、ノミやシラミといった類は、すこぶる精密だが、甲虫類などはいいかげんである。人の生活と無関係な生物には力が入らぬ、ということか。

(おかだ・ときんど/生命誌研究館館長)
※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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