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Experiment

サイエンティフィック・イラストレーションの世界

木村 政司

科学性と芸術性を両立させつつ生き物を絵画で表現していくのがサイエンティフィック・イラストレーションの世界。

日本ではまだなじみのない分野だが、欧米では長い歴史と伝統をもっている。

本場・アメリカのスミソニアン・国立自然人類歴史博物館に留学した木村政司氏に、科学と芸術の華麗な二人三脚の現状を報告してもらい、合わせて国内外イラストレーターによる生物画の誌上競争展を試みた。

スミソニアンとの出合い

アメリカの田舎町にある大学院でグラフィックデザイナーのティーチング・アシスタントをしていた私は、友人に誘われて、東部メリーランド州にある彼の実家に遊びに行くことになった。1981年夏のことである。ワシントンD.C.から車でやく45分、ハイウェイから塗装されてない森の中の狭い一本路に入り、突き当たったところに彼の父、ローランド・ハワー博士の大きな家があった。

屋根の形がほとんど曲線でデザインされた一風変わった家は、建築家でもあるハワー博士の設計であった。彼はスミソニアン協会/国立自然人類歴史博物館(以下自然史博物館)の30年来のスタッフで、同博物館の展示デザイン・システムを開発しただけでなく、FBI(米連邦捜査局)からの依頼で銃の消音器を発明するなど多彩な顔の持ち主である。

翌日、ハワー博士の案内でスミソニアンを訪れることになった。自然史博物館を見学する前にいきなり舞台裏に連れていかれ、強いナフタリンの臭いのする巨大迷路のような廊下を歩きながら多くの研究員や博物館で働く人びとの紹介を受けた。その中に、シニア・サイエンティフィック・イラストレーターと呼ばれる肩書きのジョージ・ベナブル氏がいた。

ベナブル氏のオフィスの壁に掛けられていた氏のイラストに出合ったときの感動は、いまでも忘れることができない。それはニュージーランドにいる飛べない鳥・キウイを真横から描いたもので、鉛筆画と思えたがシルバー・ポイントと呼ぶ純銀の棒による作品だった(表紙参照)。キウイの羽毛を描き出すには、銀の棒がもっともよいからなのだと彼は説明してくれたのだが、描かれた羽毛の見事さもさることながら、その道具へのこだわりに強い感動を憶えたのだ。

大学院を卒業して帰国後も、このイラストの衝撃が忘れられずベナブル氏に弟子入り志望の手紙を書いた。4年後、スミソニアンの正式な許可を得て昆虫部門でベナブル氏とデスクを並べることになった。夢のかなったその初日、ベナブル氏は私の机に石ころを一つ置き、「これから2週間、線だけを使ってこれを描いてみなさい。生き物のような複雑なものを描くには、まずシンプルなものをきちんと書けなければならない」と言った。

ショックだった。絵にはそれなりの自信があり、すぐに生き物を描かせてくれると思っていたからだ。バカにされたような気がして描きはじめたが、思うように描けないことにもっと大きなショックを受けた。影をつけず線だけを使って立体を描くことがどれほど難しいかを思い知らされた。彼は線画の中に絵の基本があることを私に改めて教えてくれたのだ。

写真を超えるプロフェッショナル技術

それから半年間というもの、彼からサイエンティフィック・イラストレーションの基礎を徹底的にたたきこまれた。双眼顕微鏡や描画装置の使い方から標本の扱い方、日本ではいまだにほとんど使われていない鉛筆の粉を筆につけて描くカーボンダスト・テクニックの習得など、私にとっては何もかもが新しいことで毎日がきわめて新鮮だった。

膨大な数の標本箱にならんだ昆虫を顕微鏡で眺めていると、肉眼ではとうてい見ることのできない世界が見えてくる。こんなことは科学者にとっては当たり前のことかもしれないが、極微小の虫のポートレートが人間の顔よりもはるかに大きく見えるのがおもしろく、この顕微鏡という道具の楽しさがたまらなかった。

標本の虫にピントを合わせると、頭部がぼけたり脚が消えてしまったりする。まれに全体にピントの合うことがあるが、それができたとしても個々の標本の状態がおかしな造作であったり、ゴミや汚れがそのまま写ってしまったり、標本からにじみ出す油で光ってしまったりする。サイエンティフィック・イラストレーションは、こうした光学的なゆがみを補正し、多くの同じ標本を較べて典型的な種類を見つけ出し、写真ではとりきれない微細な部分までを完璧に写し出せるのである。

サイエンティフィック・イラストレーターには芸術的なセンスや高度な技術だけでなく、描かれるテーマの科学的な知識と深い理解力が要求される。彼らのプロフェッショナルな職業意識は、この二つの能力をさらにすごい情熱と執念で高め、新しいイラストの手法を開発することも珍しくない。

ベナブル氏に紹介されたボタニカル・アーティストのキャンディー・フェラーは、ポリエステルフィルムと硬筆の鉛筆を使用し、水中でも陸上で描いているのと同じように描けるアンダーウォーター・ドローイングシステムを発明した。約7cmの厚さの空気の入ったドローイングボードをアンカーでつなぎ、その浮力と水圧を利用することにより海底で安定した状態で描けるものである。彼女はまた、水深の違った場所での生物の色合いのチャートをつくることにより、記憶と想像に頼っていたそれまでのものより明解な再現が可能となった。

世界でもっとも楽しい場所

スミソニアンでは、1910年3月17日に自然博物館が公共にオープンされてから84年、そしてサイエンティフィック・イラストレーターを雇用しはじめてからは60年以上になる。日本では研究者が自分でイラストを描くが、ここでは数人の専属のサイエンティフィック・イラストレーターがそれぞれの学者に必ずついている。彼らはときには自分の担当する学者と一緒にアマゾンやパミューダ、アフリカにまで出かけスケッチを仕上げる。

日本のイラストレーターの多くは、そのすぐれた器用さゆえに、写真やスケッチによって描ききってしまう。しかし、サイエンティフィック・イラストレーターは記憶や想像で描いたり写真を見て描くことはしない。写真はあくまで二次的手段。実物に即して描く――これが彼らの第一の基本である。

彼らはなんと、毎日朝5時に出社して午後3時まで、2時間の昼休みを除けばひたすら顕微鏡の前に座って描きつづける。そして、一つの昆虫を描ききるのに日本なら2~3週間は確実にかかるものを、彼らは1週間(実質5日間)で仕上げてしまう。そのペースで、毎週描きつづけるのである。それでも、彼ら全員が100年かけても描ききれないほどの生物標本がスミソニアンの博物館には眠っているという。

私がスミソニアンに入るきっかけをつくってくれたハワー博士は、スミソニアンを”The most enjoyable place in the world”(世界でもっとも楽しい場所)と表現している。科学と芸術が絶えず二人三脚で、お互いに切磋琢磨しているこのような場所が、日本のどこかにあるのだろうか。科学者とアーティストが競演する生命誌研究館は、小さなスミソニアンをめざしていると聞く。同じような施設が日本の各地にできていけば、科学にとっても、芸術にとっても、とても刺激的ですばらしいことだと思うのである。

(きむら・まさし/サイエンティフィック・イラストレーター)

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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