Special Story
サイエンティフィック・イラストレーションの世界
私は、三重県松阪の山あいで中学時代までを過ごした。子供の頃は毎日のように山に薪を採りに入り、木から木へと飛びまわった。枝わたしをしながら枯れ枝をナタで落としたり、おやつ代わりに冬イチゴやスノキの葉をむさぼり食ったりした。そのときの私はまさに猿のようであり、リスやムササビのようであった。
私にとって、このころの体験や感覚が、動物の絵を描くうえで一番役に立っているのではないかと思っている。絵を描くことは、私が動物たちの姿を借りて、キャンパスや紙の上でさまざまな動作を演じることと同じなのだ。
私の頭の中では、ビデオテープの画面のようにさまざまな動物たちがさまざまな風景の中で動きまわっている。たとえば、森の中の熊を描くことにしてみよう。画面の森の中には、倒木があったり岩場もある。頭の中の熊を歩かせ、倒木の前で止めたり、またがせたり、岩に手をかけ辺りをうかがう…と、いろいろな場面をイメージする。ああこれだ!と思ったときに頭のビデオを止めてそれを絵に起こしていくのだ。
木から木へと飛びうつる動物を描こうとするなら、頭の中でその動物になりきってポーズを考える。私の気持ち、感覚と、動物が一体になったとき、「生命(いのち)を描く」ことになるのだと思っている。
実在をみたまま、そのまま再現しても絵にはならない。見たもの、感じたものを再構想し、実在以上の生命感をもって描かなければ伝わらない。
私は、動物たちの毛を一本一本、細かく描くようなことはしない。そこにこだわると、動物がたんなる毛玉になってしまう。毛を描かずに毛を感じさせる、すべてを描きこまずなんとなく表現することで生命感を出したい。その意味では、欧米で盛んなサイエンティフィック・イラストレーションとは方法論が異なると思う。しかし、たんなる細密描写の解説画と違って、彼らも「いのち」を描く点で共通した精神的土台をもっていると聞いた。
私は「科学的」という言葉があまり好きではないが、どれほど動物たちを頭の中で自由に動かしたとしても、生態学的な制約を逃れられるわけではない。北極グマと南極のペンギンを同じ氷山の上に描くようなことは絶対できないし、動物たちの生態や環境とのかかわりを絶えず研究しておかないと、生きた動物画を描きつづけることはできないのだ。そう考えてみれば、意外と私の絵も「科学」と「芸術」との融合をめざしたものなのかもしれない、などと感じはじめている。(たなか・とよみ/動物画家)
田中豊美(たなか・とよみ)
1939年、三重県生まれ。漫画家のアシスタント、印刷会社のイラストレーターなどの職業を経たのち、動物学者の誘いを受けて、雑誌や本に動物の生態画を描くようになる。動物絵本の著書も多い。日本では数少ない動物画家の一人。
※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。