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BRHサロン

サイエンティフィック・イラストレーションの世界

少年の好奇心に向かうとき:奥野 卓司

子供のころには、チョウが好きとか、アマチュア無線に熱中とか、好奇心のおもむくままに楽しんでいてよかったが、こうした興味を、職業として探求しだすと、これでいいのかと悩む。

昆虫生態学とか、通信工学とか、文化人類学とか、それぞれに、すでに確立された学問の体系と方法があり、それらは先人たちの貴重な成果を教えてはくれるが、同時に自由な発想や疑問をしばってしまうからだ。いや、こうした学問の区切り方自体に、どうもノレないものを感じる。もっとも大事な問いを切り捨てて、その範囲のなかで、理解しやすい答えをつくっているのではないかと疑ってしまう。

ボストンのコンピュータ博物館前にて

たとえば、地球上の動植物種のうちで、ヒトという名の生命体だけが、なぜコンピュータをつくったのか。この問いかけを探る学問をなんと呼べばよいのだろうか。電子工学ではない。産業技術史でもない。動物学でもない。たしかに、文化を自然科学の言葉で説明するのは、慎重であるべきだろう。いつかは、ヒト(脳を含む)の生命現象が説明しつくせるとしても、ゲノムの情報とヒトの脳が編集した情報とは、異なったフェーズに属し、連続的には読み解けないのかもしれない。また、いかにヒト型(イルカ型でも、植物型でもない)のコンピュータであっても、脳がつむぐ情報とは、連続ではないだろう。だが、といって人間の文化のような複雑なものが、自然科学にわかるはずがないという、文科系絶対主義者にはなりたくない。

文科であれ理科であれ、科学は、少年のころの好奇心や気がかりにこだわって、その問いかけに向かっていくべきだ。「生命誌」という学問の風に吹かれつつ、ぼくは人類とその営みを探究していきたい。おそらく、一人一人の好奇心と熱意だけが、私たち自身の物語をひらくのだから。

(おくの・たくじ/甲南大学文学部教授)
※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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