その他
2025.03.28
デカルトは生きものを機械とは見ていなかった
たんや
中村桂子先生は「科学者が人間であること」の中で「デカルトの自然観は機械論そのものであり、人間をも機械と見なすものです。」と述べておられます。しかしこれを今一度検めていただきたいのです。
デカルトの夢と呼ばれる神秘体験や不思議な夢といった、若い頃の炉部屋時代の経験はご存知でしょうか。
唯物論の元祖が実はスピリチュアルの人だったなんて何の冗談かと自分も始めは思いました。しかしこの視点で方法序説を読むと、微妙ですが重大な誤謬の可能性がでてきます。
「この世界のすべてを、二元論で捉えていくという思想と、人間というものを見るときに、心と体という大局的な存在に分けてみることで、より深い見方をするということは、似て非なるところがある」(板野肯三「科学からの存在と認識」(統合版)より引用)
円筒形を横から照らせば影は長方形ですが、上や底から照らしたら丸い影が映ります。心体二元論とは心の面と体の面両方を深く追求することで、丸と長方形の影から立体的に円筒形だと捉えるように、人間を捉えることができる、そういう話である可能性があります。生命誌の参考になりましたら幸いです。
2025.04.03
1. 中村桂子(名誉館長)
たんや様
大事なご指摘ありがとうございます。
正直に申し上げて、私はデカルトを十分に勉強しているとは言えません。古典を読む会などに出席して、専門家のお話を伺うことで、少し近づいているというのが実情です。「科学者が人間であること」を書きました時は科学史の伊東俊太郎先生の、近代科学の基本の一つにデカルトの二元論を置くというお考えに学びました。
「二元論と人間の心と体を分けることとは、似て非なるもの」ということがデカルトを徹底的に勉強すれば見えてくると伺うと、そういうことはあるだろうと、私なりに思います。これからデカルトを読みこむのは難しいのですが、ご指摘を忘れずに考えていこうと思います。
今大事なのは、生命誌的世界観を持つことですので、そこへ向けての考えになるに違いないのですが。
中村桂子