生命誌について
2024.02.02
人生の意味
こう
中村桂子先生にお尋ねします。
数日前、お寺の息子さん、永六輔氏の著作の中に
“出演していた子供電話相談室で「どうせ死ぬのに、どうして
生きているの?」という質問に絶句した”という記述があり
付箋をしていましたが
昨日の夕刊に、哲学者で生命学を提唱されている
森岡正博先生が“若者と話をしていると「いつか死んでしまう
のに、どうして生きないといけないのですか?」と聞かれるこ
とがある”と全く同じことを書かれていて
さらに、現在のプロの哲学者による研究の多くは
この問いに正面から答えているとは思えない。
私は、人生の意味の哲学を
この問いにきちんと答えられるものにしなければいけないと
考えている・・・と結ばれています。
そこで、このテーマについて
何かお考えになっていることがあれば、教えて頂けませんか。
2024.02.03
1. 中村桂子(名誉館長)
こう様
私は哲学者ではありませんし、難しいことは大の苦手。日常でしか考えられません。ですから哲学のお答えはできませんが、日常で。私は「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」と考えたことはありません。「この機械どうせ壊れるんだから作っても仕方がない」と言ったら何も作れませんし。
私はこの世に生まれてきました。周りに大勢の人、様々な生きものがいて、生きものって面白いなあと思いました。自分が生きていることが面白い。更に、生きているってどういうことなのだろうと学び、考えているうちに、よりよく生きるにはどうしたらよいのだろうという問いも生まれてきます。先生や友達とあれこれ考え・・・私の場合、そこから「生命誌」が生まれました。人間だけでなく、40億年の生きものたちの歴史、その中にいるのだと思ったら、そのつながりに興味が湧き、これからもつながって行くんだと思うと、生きものってすごいと思えてきます。「私たち生きものの中の私」。わたしが見つけた「私」です。わたしにとってはこれで十分です。納得して生きているうちに、まど・みちおさんのおっしゃるように、「ふるさとである宇宙に帰る」のでしょう。
お一人お一人の生き方があると思いますので、それについては何も申し上げられませんが、生きていることそのことがすごいことだという感覚を誰もが持てる社会であって欲しいと願っています。
中村桂子
2024.02.14
2. こう
中村先生
昨日3日は、コロナも静かになってきましたので
先生にもご縁がある花博記念賞の講演会に行っていました。
ことしも、京大・加藤真先生の“花と昆虫ー共に歩んだ2億年”はじめ
4人の先生方の意義あるお話を聞かせて頂き、充実したひと時でした。
早速、私のお尋ねにお答えいただき、ありがとうございます。
そうですよね。通常は“人生の意味”なんて疑問を持ちませんよね。
私も永六輔氏と同じで、返す言葉を持っていません。
ですが、自分のこれまでを振り返りながら、このテーマに向き合うことは
生きものの人として“今後を考えるの意味がある”と感じています。
私はこれを考える土台として“人間は自己実現に向かい絶えず成長する”
と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化した人間性心理学の
アブラハム・マズローの自己実現理論が有効かなといま思っています。
ご存じかも知れませんが、マズローの提唱した人間の欲求5段階説は
基本的欲求を【下】低次な欲求 →【上】高次な欲求へと並べたもので
⑤自己実現欲求・自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し具現化したい
④承認欲求・自分が集団・人から価値ある存在として認められたい
③社会的欲求/愛の欲求・自分が社会や人から必要とされていたい
②安全欲求・良い健康の維持、事故の防止ほか
①生理的欲求・生命を維持するための本能的な欲求、食事・睡眠・排泄ほか
・・・で、人は下から上へ順次満たして行こうとするとあります。
一昔前(今もかも)“自分探しの旅に出る”なんてことが話題になりましたが
この理論によれば、①~④は満たされて⑤の段階へきたが
自分に適したテーマ・ビジョンがわからない状態かもしれませんね。
それともう一つ、“生きものと人との対比”の観点から
人以外の群れて生活をする生きものも
①~④の欲求は本能として持っているように思うのですが
⑤の自己実現欲求を持っているものはいるのでしょうか。