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みんなの広場

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2020.09.18

エミシとは何か・・・

O. T.

私の母方の祖父母は、北東北出身です。西暦801年、坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され、蝦夷征討の(エミシセイトウ)を行なった史実があります。この地域は、現在の宮城県辺りまででしたから、北東北は辺境の地だったと思います。なお、私が命を譲り受けたのは祖父母がいたからで、私の身体には、エミシのお血が流れているかも分かりません。

2020.09.25

1. 齊藤わか(表現を通して生きものを考えるセクター)

 ご意見ありがとうございました。季刊「生命誌」102号で、アイヌをはじめとする北東アジアの様々な民族の文化とゲノムを解析する松前ひろみ先生の研究を紹介しています。よろしければご覧ください。同じく102号では人類のDNA研究を行なっている斎藤成也先生のインタビューも掲載しています。DNAの研究が進むにつれ、日本列島の人々は、一口に日本人といっても多様な遺伝的背景をもつ集団であることが見えてきており、例えば出雲地方と東北地方の人々に遺伝的な近さが見られるなどの意外な発見もされているそうです。多様な人々の営みが織り合わさって自分につながったのだと想像するとワクワクしますね。

2020.09.28

2. 中村桂子(名誉館長)

私がDNA 研究を始めた頃(60年前です)には、これが、私たちの祖先研究と結びつくなど思いもしなかったことです。今は、人間の歴史を知り、それを生き方につなげるところにきましたので、皆が幸せになる生き方につなげたいと思っています。エミシとのつながりお考えになるの、楽しそうですね。

2020.09.28

3. ヒグマ

友人に、寿司職人だった人がいます。彼は大阪で寿司屋をやっていたので、関西文化によく精通しており大変参考になります。例えば、関西人は「アホかいな」とか「どアホ」と気軽に使います。
一方、東京人の会話では、そのような言葉は使いません。東京では「アホ」は禁物で、関西では「バカ」は禁物です。この違いを簡単に言えば、東京人は「いい振りこき」で、関西人は「いい振りこきでない」と思います。
だから関西人は、どちらかと言えば本音対応で、東京人はどちらかと言えば、建前対応と言えるかもしれません。双方の違いは、文化の違いでしょう。また、京都人は公家の人も多かったと思われますが、道産子には土地柄、上品さはあまり肌に合わないかもしれません。

私は大阪で働いていたことがあります。大阪人は、1年間ぐらい相手の様子を見ています。そして、信用が置ける人物と判断したら、とことん面倒を見てくれます。関西人には、そんなお節介なところがある優しい人たちで、道産子には合っていると思います。これを「馬が合う」ということかも分かりません。(ヒグマより)

2020.09.28

4. ヒグマ

“つながり”
十勝の面積は東京都の約5倍で、日本の7番目の広さを誇る岐阜県の広さと同じで、人口は約34万人で東京都の26分の1である。人口が少ないので、十勝では人との“つながり”が強く、何かを話しているうちに親や兄弟のことでつながることがある。

十勝の開拓は、このような人とのつながりや開拓者精神、共助で行なわれてきたのだろう。だから、地元一丸となって発展しようとする意味を表わす「十勝モンロー主義」という言葉が生まれたのだろう。

地元への愛着や結束力の強さから、十勝以外から来た人や企業にとって、起業や商売が難しい地域といてネガティブに解釈されることもあるが・・・。

明治30年頃から本格的に開拓がはじまったが、冨山県人と岐阜県人で入植者が42%を占めている。その理由は両県とも、濃尾地震や土地事情などから十勝への入植に積極的であったこと、また“フードバレーとかち”と言われるように、肥沃な土地のことを既に入植した人々から伝わったのだろう。

2011年の東日本大震災後、日本中で「絆」(人とのつながり)という言葉が飛び交ったが、この人とのつながりがいま、失われようとしている。なぜ、人とのつながりが絶たれようとしているのだろうか。

それは、個人意思の尊重、経済の高度化、核家族化等々により戦前まであった地縁・血縁を煩わしく思って切り捨ててきた戦後の経緯があるのだろう。最近では、地縁・血縁と無関係に生きる生活スタイルも珍しくないようだ。

しかし、その反動として、引きこもりの急増など、孤立する人や自殺する人が増えている。“孤立死”や“無縁社会”ということが、事あるごとに取りあげられていて、「学校のイジメ」や「登校拒否」なども後を絶たず、共助や共生が問い直されている。

東日本大震災後の翌年、津田塾大学教授 萱野稔人氏は、このことに関連して月刊誌「Moku」に、次のように寄稿している。

・日本経済は長期デフレに入っていること
・それは、人口減少などによる消費低迷にあること
・経済成長を前提とした現代社会が問われていること
・豊かさの価値観が、問われていること
・日本は人口減少のフロントランナーとして、その役割を発揮すること
・官民挙げて知恵を結集して、地道な取り組みを行なうことの必要性など

新型コロナ禍で、この人とのつながりや価値観が見直されている。なぜなら、人間は繋がることで大きな力を発揮し、コロナ禍の克服と地球温暖化等の大きな問題に立ち向かうことが出来るからである。

今のような緊急事態の時には一致団結しなければならず、日本はいま、世界からその力量を注目されていると思う。

2020.10.07

5. 十勝囲碁人

まだ見ぬ「アイヌ」へ
別冊宝島の本に書かれていた(まだ見ぬ「アイヌ」へ)は、次のとおりである。

『一九九三年は「国際先住民年」である。この六月にジュネーブで開かれた国連の世界人権会議は、今後十年間を「世界の先住民の十年」とする勧告を決めた。カナダのイヌイット、オーストラリアのアボリジニ、フィンランドのサーミ、そして日本のアイヌ・・・・・・今後も「先住民族」は注目されていくだろう。

しかし、視点を国内に向けると、「国連」の「先住民族問題」によって喚起された問題意識で捉えていては、見えてこないものがたくさんある。たとえば同じ内容のことを話題にしても、それが国内の問題となると途端にトーンが変わる。とにかく歯切れが悪い。

それは「北方領土」や「アイヌ新法」に対する政府の答弁などというレベルに限らない。常にアイヌと接している「和人」、あるいはアイヌ自身が言っている。

「それはシャモが言うべきことじゃないよ」、「まだ、アイヌ自身がそれを言うべき時期ではありません」、「アイヌ自身が言い出すのを待つしかないよ」

奥歯にモノが挟まったままなのだ。いったい何をそんなにはばかる必要があるのだろうか? いったいこれは何なのだろう?

アイヌをアイヌ民族たらしめる価値観は、日本古来の、もしくは現在の日本社会の持つ価値観とも異なるものだ。アイヌプリ—彼らなりのやり方ともいうべき流儀、考え方がある。それを理解できないと「アイヌ」の文化というものはわからない。

とはいえ、アイヌ独自の価値体系が、彼らアイヌのすべてを律しているわけでもない。なぜなら彼らも日本人であるからだ。そう、問題を複雑にしているのは、彼らが、「日本人」であることだ。

われわれ“日本人”がアイヌについて考えるとき、単なる国籍上の一致でしかないこのことが、多くのことを見失わせてしまっている。

しかし、少なくても日本人である「私」が意識したことのない歴史を常に意識し続けている人びとがこの日本に確かに存在している。「私」と異なった価値体系を意識している人たちがいる、

そういう価値観や歴史に基づく異質の文化の存在と、それを背負っている人びとの存在は、間違いのない事実なのだ。

では、アイヌにとって「アイヌ」とは何なのか。アイヌであれば「アイヌ」について説明できるのであろうか。

“日本人”であるわれわれが日本人について説明するのが難しいと同じように、自分がアイヌであると確信することと、「アイヌ」について説明するということはまた別だ。

アイヌ自身が「アイヌ」であることを独占しているうちは、アイヌのことを知られるようにはならない。もちろん、いいかげんなことが数多く流布しているから、それに対する自己防衛だともいえる。

「そういってシャモが何度アイヌを騙してきたか知ってるか」。 そんな声が聞こえてくる。もちろん、過去を清算することはたやすいことではない。“シャモ”が、一升瓶から革命のビラまで手を替え品を替え、アイヌを欺き続けた記憶は風化していない。

しかし、だからといって、「シャモ対アイヌ」といった図式からは見えてこないものがある。

実はひとりひとりのアイヌが、「自分」のことを語る、あるいはアイヌに関わる和人が自分が関わるアイヌのことを語る、もしくはアイヌと関わるアイヌを語る・・・・・・、そうした積み重ねのなかにしか「アイヌ」は見えてこない。

たとえば、ひとりのフチに語ってもらえることは無数にある。ユカラ、ウポポ、チカルカンペ、の作り方、その文様の意味、子どもの頃の暮らし、父のこと、母のこと、「学校」のこと、働いたこと、結婚のこと、娘のこと・・・・・・・。過去のことばかりでない、今なにを考えているのか、これからどうしたいのか・・・・・・、彼女にとって和人とは、アイヌ新法とは・・・・・。

こうした言葉の上に、現在の「アイヌ」はある。多くの人間がアイヌについて語ること、それが「アイヌ」の姿を明確にするのだ。

「アイヌ」について考えること、それはアイヌにとっては自己の歴史、自己の文化を自ら捉え直すことであり、“日本人”にとっては、自己の歴史に欠けていた部分、異質な部分を認めることなのだ。そのとき「アイヌ」はあなたの前にいる。(別冊宝島編集部)』

この本を読んで、日本・韓国両政府による解決済みの「慰安婦問題」を思い出した。思い出した理由は、戦争や同化政策など、過去の過ちを二度と繰り返してはならないということである。

2020.10.07

6. 中村桂子(名誉館長)

 アイヌについてのお話ありがとうございます。
 アイヌや沖縄についてきちんと考えること大事ですね。例えば、アフリカへ行くと、一つの国の中にたくさんの言葉や文化があるのが当たり前なので、逆に改めて考えることもなく自然に暮らしているように見えます。ナイジェリアに通っていたころ、車で30分ほど走ったらもう言葉が違うなどという体験をしました。沖縄にはお友達がいましたが(残念ながら亡くなりました)、アイヌの方とお友達になったことがないことに気づきました。ゆっくりお話を聞く機会を持ちたい。今回そう思いました。

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