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表現スタッフ日記

展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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過剰な必要は不必要?

2013年6月17日

吉田幸弘

展示ガイドスタッフの吉田です。梅雨入り宣言が早々に発表され、すっかり季節が梅雨めいてきました。それに伴い空中湿度と気温が共に高まり、人間にとっては不快な季節となっています。

しかし湿度‐もとい水分と温度は、全ての生き物にとっては重要な要素です。生命体は基本的には水分がなければ多くの生命活動を行えませんし、温度が低すぎても生命活動という化学反応は進行しないからです。このことは、生命の起源が比較的温度の高いと考えられる水中であったことが関係しているのかもしれません。

さて、全ての生命の祖先種は38億年前に水中で誕生したと考えられていますが、そこから月日が流れ、約5億年前頃に植物が、約4億年前頃に原始的な節足動物が、そしてその少し後に我々脊椎動物が陸上へ進出を始めたと考えられています。様々な動植物群で、生命活動に必須な水分をいかに効率よく保持して利用するかという、水分の少ない環境への適応という進化を経ることで、我々のような陸上で生活する動植物の多くは、水が必須なはずなのに「水に弱く」なりました。これはどういうことなのでしょうか。

水中は陸上に比べて水分が多い一方で、植物が光合成を行う際に必要とする気体である「二酸化炭素」と動植物が共に必要とする気体である「酸素」が乏しい環境でもあります。つまり、言い換えるならば必ずしも「水に弱くなった」わけではなく、水中という「生きる上で必須な気体が乏しい」環境に適応できなくなったというわけです。

それでは冒頭の話に戻り、人間にとって「蒸し暑い」という不快さは、どういうことなのでしょうか。脊椎動物の一グループである哺乳類は恒温動物、つまり体内で熱を発生させて体温を一定に保つ動物です。体内で発熱させて体温を一定に保つ機構を持っているために、周辺の温度が体温に近づくと、放熱により失われる熱量を発熱する熱量が上回ることがあります。このような時に汗をかくことで、気化熱の作用によって放熱により失われる熱量を増加させているわけです。そして、空気中の湿度が高いと汗が蒸発しにくくなり、汗が体表面に残ると同時に気化熱の作用による放熱効果が低くなります。このため、温度も湿度も高い梅雨時、つまりこれからの季節は人間にとって不快になるのでしょう。

進化を経て、本来必要な要素であっても多すぎると困る、というこのような構図は、よく考えるとなかなか興味深いのではないでしょうか。さて、生命誌研究館は様々な生き物や生命活動の仕組みを通して進化を考え、思いを馳せることができる場となっています。皆様も当館に足をお運びの際は、是非一度このような興味深い事例を探してみてください。最も、考え過ぎると発熱量が増えて、不快さが増してしまうのが困りものですが。

[ 吉田幸弘 ]

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