展示や季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。
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【ヒヨドリの巣立ち】
1999年8月1日
外にでて、ピーピー鳴かせていると、その呼び掛けに答えるような鳴き声が聞こえ始めました。そちらに歩いていくと、巣からヒナが落ちるのを見たという方がいて、場所を教えてくれました。地上から3mくらいにあるクスノキの枝に巣はありました。 親鳥がヒナを見つけたようなので、ヒナを離してやると、たどたどしく飛ぶものの枝にはとどかず、地面に落ちてしまいます。仕方ないのでツツジの茂みに置いて、後は必死にヒナを呼んでいる(ように思える)親鳥に任せました。 鳥好きの友人に事情を説明すると、それは正常な巣立ちで、確かに危うい時期であると同時に、最も人間に捕まりやすい時期なのだとのこと。そしてとりあえず、親鳥の監視のもとに戻せたのだから、それでいいんじゃないかと言われ、無防備なヒナを危険に晒して置き去りにしたのか、と苛まれた気持ちも和らぎました。 ただし、そもそもそれが自然の森林であれば、まず下生えがあり、低木から高木まで、多様な樹木草本があるので、地面に落ちたヒナも、葉や枝をつたって階段を上るように、親鳥のところまで行けるのだ、ということ。なるほどそういうことかと納得。羽根をばたつかせながら枝をよじ登っていくうちに羽根や脚を鍛え、飛べるようになる様子が目に浮かぶではありませんか。巣からとびだしたところが、取り付く島もなかったので、地上をさまようことになったのでしょう。 ヒヨドリの繁殖には、ただ木があればいいのではなく、沢山の草木に世話になり、その実を啄ばんで、恩をあだで返すのかと思いきや、実は種子散布に一役かっているように、自然界はなんとも複雑に互いの存在を必要とし認めあって成り立っているのなら、人間はどこで何の役に立っているだろうと、自分自身をけなしたり、正当化したりしながら、考えてしまいました。 [北地直子] |