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進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

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サルからヒトへの進化研究が活発になってきた I

2018年8月1日

21世紀科学の最大の課題は、サルからヒトへの進化、特に脳の進化過程を解明し、なぜヒトが言語という新しい情報メディアを獲得して地球の支配者になったのかを理解することだ。進化で起こった変化は今のところ考古学的遺物を解析する以外は、ゲノムに残された記録の解析が最も信頼できる。このため、ヒトと他の類人猿との差を研究するには、まずチンパンジーやゴリラなどの、現存するヒトに最も近いゲノムを解読し、ヒトゲノムと比べることが重要になる。

2002年に、我が国の理化学研究所からチンパンジーゲノムから作成した大きなサイズのライブラリー(BACライブラリー)の配列解析結果が発表されたが(Science 295,131, 2002)、科学者側の問題か、報道側の問題かはわからないが、ヒトとの違いが1.2%だったという結果を、「思いのほか差がない」と言う点が強調されて一人歩きさせてしまった。実際には1.2%でも十分大きな違いなのだが、映画「猿の惑星」からもわかるように、私たちの頭の中にはサルとヒトとに違いは紙一重という思い込みが刷り込まれているのかもしれない。ヒトの由来がサルや他の動物と同じ先祖から来ているとあれほど苦労して説得を試みたダーウィンがこの現状を見れば、世の中の変化に、驚くとともに大喜びすること間違いない。

ただその後、2005年米国のグループがNatureに発表したチンパンジーゲノムのドラフト配列について紹介したNature Japanの記事では、「チンパンジーとヒトのゲノムには際だったちがいがある」(https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/4836)と述べて、チンパンジーとヒトを比べる時、一塩基置換のみで語るのではなく、長いDNAの断片の重複や、欠損を調べると、違いは3%近くにまで跳ね上がることを示唆している。さらにその後の研究から、この大きな構造変異の中に、ヒトとサルの違いに関わっている可能性が高い面白い遺伝子が存在していることが明らかになってきた。

ところが、これまでに発表されたチンパンジーゲノムは、解析しきれない部位が何千も存在する不完全なもので、最も重要な大きな断片の欠損や重複についての情報が抜け落ちている可能性が高く、サルとヒトの本当の違いを議論するにはあまりにも不十分だった。ヒトゲノムデータですら、まだまだ見落としや間違いが存在する。もちろんそれぞれのゲノムの解析精度については、部分的ではあっても少しづつ改善されてきた。これに加えて、ヒトゲノムの仲間に現生人類だけでなく、ネアンデルタール人デニソーバ人のゲノムデータが加わり、2010年以降、サルからヒトへの脳進化に関する研究が加速しているような印象を受けている。

そこで「進化研究を覗く」も、文字とWritingの誕生と進化についての説明は1ヶ月休んで、8月は夏休み特集として、ヒトが類人猿とどう違うのかについて最近発表されたいくつかの論文を2回にわけて紹介して、言語や文字の誕生を支えるヒトの脳の特徴に思いを馳せて見たいと考えている。

1回目は、まず6月にワシントン大学から発表された、オランウータン、ゴリラ、チンパンジーのゲノムを、これまでと比べて一段高いレベルの精度で解析し、ヒトゲノムと比べた論文を紹介する(図1)

図1 Science6月号に掲載されたチンパンジー、ゴリラ、オランウータンの高精度のゲノム解析論文。(Science, 360.1085, 2018)

この研究では、これまでゲノム解析が不完全で残されていた多くのギャップを、チンパンジーで6割、オランウータンではなんと97%も解消することに成功している。このようにゲノムを切れ目なく高い精度で読むことに成功した理由は、一分子シークエンサーという新しいタイプのDNAシークエンサーが利用できるようになったことが大きい。


図2: PacBio一分子シークエンサーの原理
一分子のDNAを複製するとき、次に取り込まれる塩基を蛍光ラベルで識別して、配列を決める。鋳型に取り込まれたあと、蛍光物質だけを切り出して拡散させたあと、次の反応に進む。この過程をくり返す。一分子を複製することで、これまでのシークエンサーに必用な増幅過程が必要なくなり、一本のDNAがどれだけ長くても原理的に全て解読することが出来る。

現在普及している次世代シークエンサーでは、読みたいDNA断片を増幅する必用があるため、どうしても読める断片の長さは短く、例えば同じ配列が繰り返している部分について、何回くり返しているかを正確に把握することが難しかった。幸い、ヒトゲノム解読にあたっては、大きな断片を含むライブラリーを準備してその配列を決めるという作業が先に行われていたため、下敷きになるゲノム構造がかなりの確度でわかっていた。このおかげで、次世代シークエンサーを使って新しいゲノムの断片を読み出した場合も、これまでにわかっている構造の下敷きに当てはめて、それぞれの断片のゲノム上の位置を知ることが出来た。しかし、類人猿のゲノムではこの下敷きが完全でなかったため、次世代シークエンサーで読みとった配列は、ヒトの構造を下敷きとして断片の位置を判断していた。この結果、類人猿のゲノムも自ずとヒト化されてしまっていた。今回、PacBioを使って切れ目のない長いDNAを一度に読んでしまうことができるようになり、それぞれの種でスキャフォールドを用意することができたおかげで、かなり正確にそれぞれの種の比較を行えるようになった。

一分子シークエンサーの利用に加え、この研究では要所要所でiPS細胞が大活躍している。というのも、ヒトのiPS細胞樹立が可能になった後、米国では早い段階で類人猿のiPS細胞が樹立されていた。ご存じのように、iPS細胞はほぼ全ての体細胞へと分化することが出来る。この研究では、生きた類人猿から細胞を調整するのではなく、解析するDNAは全てiPS細胞から調製している。これによって、同じゲノムから転写された遺伝子を、元のゲノムと比べることができる。ゲノムデータを正確に解読するためには、実際に使われている遺伝子のリストが必要だが、iPS細胞のおかげでこの問題はほぼ解決している。さらに将来、iPS細胞のゲノムを改変して、サルをヒト化したり、ヒトをサル化する実験も可能になる。

方法の議論はこのぐらいにして、論文の内容に移ろう。もちろん、3種類の類人猿とヒトの比較論文で、内容は膨大だ。事実この論文で報告されたのは、一種のアウトラインで、このアウトラインですらここで紹介しきれない。そこで、詳細は省いて、サルからヒトへの進化に最も重要と考えられている、進化過程で起こったゲノムの構造変化(Structural variation: SV)だけに焦点を絞ってこの論文を解説する。

まず、ヒトへの進化が進むからと言って、ヒトだけに大きな変化が蓄積するわけではない。それぞれの種への進化で独自の重複や欠損がおこっている。この中から、ヒトへの進化の過程でおこった変異をリストすると、なんと18000近くに達する。このうち、約12000が挿入、約6000が欠損だ。そして、多くのSVが遺伝子の機能に直結する変異であることが確認できる。遺伝子がコードする分子自体の構造が変化する場合もあるが、もっと多くの欠失や挿入が、遺伝子発現調節領域に起こっており、これにより遺伝子が発現する量や、遺伝子の発現する組織が変化することが考えられる。勿論、SVの構造やゲノム上の位置だけから、変化がどう現れるかを決める事は難しい。今後、この研究などから明らかになったそれぞれの遺伝子調節領域の変異を、他の類人猿iPSに導入する実験を繰り返し、細胞レベルでどのような変化が起こるのかを知る地道な作業が必要になるだろう。すなわち、サルのゲノムをヒト化し、ヒトのゲノムをサル化する実験だ。今後、面白い話が出てくれば、ここでも是非紹介していきたいと思っている。

この研究でもSVが種間の大きな変化につながった可能性をいくつか例として示している。

  1. 1)ゴリラと比べた時、ヒトでは男性ホルモンの受容体の遺伝子発現調節領域に欠損が見られる。おそらくこの結果、ヒトはペニスの骨を失った可能性がある。一方、欠失部分をゴリラと他の類人猿と比べると、ゴリラでは一部の領域が逆転するinversionを含む、かなり複雑な構造が出来上がっている。ゴリラは類人猿の中でもオスメスの体格差が大きく、オスがオスらしい。このオスらしさを支えるのが、ゴリラ特異的にこの領域に見られるSVかもしれない。
  2. 2)細胞周期の調節に必須の分子で、種間で保存されているWee1とcdc25cの両方にヒト特異的欠失が見られる。Wee1では3’UTR(遺伝子の最後に続いている翻訳されない配列)の欠失で、cdc25cでは一部のアミノ酸も欠失している。この変異の機能的影響までは解明できてはいないが、細胞周期に必須の2つの遺伝子が揃いも揃ってSVを持ち、しかも神経の幹細胞と考えられるradial glia細胞に強く発現していることは「何かありそうだ」と期待させる。細胞の増殖なら、iPSから誘導した神経細胞で十分研究できる。近いうちに、ヒトへの進化とともに脳が大きくなる過程についての論文を期待して良さそうな気がする。
  3. 3)この研究では、オランウータン、チンパンジー、ヒトの間で遺伝子の一部の領域が逆向きになるinversionが起こった領域も検索している。全部で29カ所、500bpから5Mbの大きさのinversionが見つかり、その多くが遺伝子発現の変化に関わることを確認している。さらにinversionが起こった領域では、類人猿とヒトの間の違いだけでなく、ヒトの個体間のゲノムの多様化が見つかる場合が多く、脳の多様性の原動力となっている可能性がある。このエキサイティングな可能性については、2編の論文を例に、次回説明したいと思っている。
  4. 4)ヒトへの進化で最も重要なのが脳の進化だと考えると、SVにより発現がどの細胞に影響を及ぼしているのか知りたいところだ。そこでこの研究では、それぞれの種のiPSから神経細胞を誘導して、radial glia細胞、興奮ニューロン、抑制ニューロンなど,誘導できたそれぞれの細胞の遺伝子発現を比較、ヒトへの進化で発現が大きく動いた遺伝子をリストし、この変化がSVに起因するかどうか調べている。その結果、radial glia細胞でヒトへの進化とともに発現が抑制される遺伝子が、SVと関わっていることが明らかになった。

このように、ゲノムレベルで類人猿とヒトの違いを解読することはできた。この地図を手がかりに、あとは類人猿とヒトを特徴付ける機能や形態の違いを知力を尽くしてけんきゅうするためのスタートラインについた。面白い話が続々聞けるのではないかと期待しているが、言語誕生までの道のりは長い。それでも、最近面白い話が立て続けに発表された。次回はこの2編の論文を紹介したい。

[ 西川 伸一 ]

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