顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。
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LUCA誕生に必要な条件
2016年2月15日
繰り返すが、Ottoの複製子(Otto Replicator: OR)は、自己性を持ち、環境との相互作用で決まる特定の構造を繰り返し複製できる点で、DeaconがTeleodynamicsと呼ぶ力学系の条件を満たしていることを述べた。しかし、だれもORを生物とは呼ばないだろう。そこで、ORと実際の生物を比較し、生命の条件を考えてみよう(図1:前回と同じ図を再掲する)。
図1 前回掲載したOtto複製子についての、仮想合成経路を再掲している。これから、これと比べながら原始生命LUCAの条件を考えていく。
まずORは1種類のペプチド(図中では青と黄色の矢印)が基本単位になっているだけで、私たちが生命と呼んでいる最も単純な存在と比べても、単純すぎる。たしかに複雑だから生命と言えるわけではないが、やはり複雑性を持つことは生命の条件になるだろう。生命が複雑に見える一つの要因は、物質とエネルギーの代謝が生物には内在化しているからだ。
次にOR構造の形成過程を見てみよう。ORは熱水噴出孔に発生する(と仮定している)物質とエネルギーのmorphodynamics力学により合成されるペプチドから構成される。もちろん、OR自身も触媒や鋳型として働くことで、構築を組織化(Organize)している。しかし、生命と違って物質とエネルギーの供給は内在化されていない。一方、生物も外界からの物質に依存はしているが、エネルギーや物質代謝を生物内部で行っている。
とすると、ORは代謝を内在化させるという条件をスキップして、自己性を獲得してしまっていると言えるのかもしれない。その結果、物質とエネルギーの供給は全て外部に依存している。
このことから、少なくとも地球で見られる生命誕生の条件として、独立性・自己性が生まれるより前に、生存に必要なエネルギーや物質の代謝システムの少なくとも一部が内在化されていることを指摘できる。これがどう行われたのか想像してみよう。
前々回述べたようにMartinらはこの準備が熱水噴出孔のマイクロセル内で準備されたと考えている。マイクロセルは無機物でできており、その中での代謝システムがどれほど複雑化しても、独立することはない。その代わりに、安定した環境を長期間提供できることから、最終的に内在化することが可能な代謝システムの準備がここで起こったとする考えは説得力がある。
LUCA誕生前にエネルギーと有機物の代謝システムが生まれる過程は、現存の全ての生物に共通するシステムを参考にして考える以外にない。そして全ての生物がエネルギーと有機物合成のために共通に使っているのが、アセチルCoA、ATP、水素イオン勾配を利用したATP合成システムだ。したがって、まずこれらの分子やシステムがどう生まれたかを考える必要がある。
まずアセチルCoA,ATP分子から見ていこう。図2に示すように、アセチルCoAは、細胞内の有機合成の核として機能しており、他にも図には示していないがコレステロール合成や、ケトン体の合成など、まずほとんどの有機分子代謝経路に関わっている。おそらくわかっているものを網羅するだけで、生化学の教科書一冊分必要なはずだ(実を言うと、代謝経路はこれまで私の最も苦手な分野だ。しかし生命誕生を考えるためには必須の知識で、若い研究者はぜひ私のような苦手意識を持たないようにして欲しいと思う)。
図2 アセチルCoAは有機合成の種として全生物共通に使われている。
しかし図3に示すように、熱水噴出孔では炭酸ガスが水素により還元された後、アセチルCoAを合成するWood–Ljungdahl 反応と呼ばれる合成回路が進む条件が存在したと考えられている。確かにCoAの分子構造はLUCAが生まれる条件に常に存在するにはあまりに複雑に見える。しかし、ただのメチル基がCoAの代わりに存在する極めて単純な分子でも、アセチルCoA と同じ機能を果たし得るし、またこの程度の有機分子は十分存在し得たと考えていいだろう。
図3 Wood–Ljungdahl 反応:詳細を気に止める必要はない。これまで議論した水素による炭酸ガスの還元反応からアセチルCoAの合成経路が始まることだけに注目して欲しい。(Wikiより)
アセチルCoAと同様、糖と核酸とリン酸が結合した一見複雑なATPも生物の力を借りることなく合成されることはすでに述べたので、ここではADPをリン酸化して不安定なATPに変え、それがADPに戻る時のエネルギーを化学反応に使う仕組みの発生過程について考えてみよう。
現在の生物にはATPを合成するための多様な回路が存在している。しかし、あらゆる生物に存在する仕組みは膜を隔てた水素イオンの勾配をエネルギーとしてATP合成酵素を動かしADPをリン酸化する方法だ。ただこの方法で持続的にATPを合成するためには、細胞内外の水素イオン勾配を維持する必要がある。
図4:ミトコンドリア内でのATP 合成のメカニズム。説明は本文参照(Wikiより)
私たちの細胞でATP合成を行なっているミトコンドリアでの仕組みを見てみよう(図Wikipediaより)。電子を移送するトランスポーターが膜上に並んでおり(図にはI,II,IIIとナンバーを付けて示している)、電子が伝達システムの分子間を移動するたびに水素イオンがミトコンドリア外に放出される様にできており、これによりミトコンドリア内に流入した水素イオンは細胞質へと汲み出される。こうして維持される水素イオンの勾配を使って水素イオンはミトコンドリア膜上にあるATP合成構成酵素を通って流入する。このエネルギーを用いてこの酵素はATP合成を行う。(より詳しく知りたい方は、季刊生命誌43号の図もご参考ください)
ATPを作るために水素イオン勾配を使うシステムはあらゆる生物に見られるが、エネルギーのために常に流入する水素イオンをくみ出して勾配を維持するためには、このように高度に組織された複雑な構造を持つ分子セットが必要になる。もちろん、LUCAが誕生する最初からこのような分子が存在するはずはない。しかし、水素イオンの勾配を維持する仕組みがないとエネルギーを自分で作れないというジレンマに陥る。実際、薬剤でこの電子伝達系を止めると、ATPの作れなくなった細胞は即座に死滅する。
どうすれば複雑な電子伝達系なしに水素イオンの勾配を維持すれば良いのか?この問題を解決する一つの素晴らしいアイデアが、Nick Laneらにより示されている(Sojo et al, PlosBiology 12: e1001926, 2014:図4)ので紹介しよう。このアイデアは、特別なメカニズムなしに水素イオン勾配が利用できる方法を示すだけでなく、生物の自己化、独立化の過程も説明できる可能性を秘めたアイデアだ。
図5 Laneはアルカリ熱水が地下から噴出するベントでは、水素イオン勾配が維持できる条件があると提唱している。
LaneはMartinとともに、熱水噴出孔でLUCA誕生の準備が進んだと考えている一人だ。マイクロセルは小さな穴が空いているが、分子透過性の選択性はない。図では、この穴に水素イオンが透過する脂肪膜を持った小胞が詰まるという状況を設定している。熱水噴出孔では、地底から湧き出すアルカリ性の液体と、弱酸性の海水が存在するが、それぞれの流れが脂肪胞とマイクロセルを形成する無機物で隔てられると、持続する水素イオンの勾配が図の上下で生まれる。地底からの液体と、海水は常に流れているので上下のpHの差は維持され、水素イオンの勾配も維持される。
ここに図5・緑色で示した水素イオンの流れをATP合成に使える原始的タンパク質が誕生すれば、水素イオンを脂肪胞外へ汲み出す複雑なメカニズムが存在しなくとも、ATP合成システムを持つ脂肪小胞が生まれる。その後、同じ脂肪胞内で水素イオンと他のイオンを交換的に移行させるトランスポーター分子がたまたま合成されると、水素イオンの汲み出し機構とATP合成システムの両方を備えた脂肪胞が完成する。
このシナリオが実際に起こったかどうかはわからない。しかしこの考えは、LUCAに必須のATP合成システムとアセチルCoAを併せ持った脂肪胞の形成過程を、大きな飛躍をせずに考えられることを示唆している。少なくとも私は、エネルギーと有機物質合成系を備えた脂肪胞が熱水噴出孔で発生することがそれほど困難でないと確信できる。また、このような細胞様システムを人工的に合成して研究が行われることも遠くない話だと思っている。
とはいえ、エネルギーと有機物の合成系を内在する小胞を先行させて考えるとき、次にもっとも難しい問題として登場するのが複製だ。ORのような単純な構造の複製は容易だが、系が複雑になればなるほど、その複製は困難になる。
有機物とエネルギー合成システムを備えた細胞様小胞の実現性を確認した後で、十分複雑化したシステムにどうすれば複製能力を付与できるかを考えていこう