顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。
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熱水噴出孔と生命誕生
2015年11月16日
私たち団塊の世代が生命科学に魅せられた時必ず読めと勧められた本の1冊がシュレジンガーの「生命とは何か?」だ(図1)。
図1 シュレジンガーと著作「生命とは何か?」。版権の関係で私が読んだ岩波の「生命とは何か?」の代わりに英語版を掲載した。
生命は物理化学法則のみが支配する地球で誕生した。当然生命は物理化学法則の延長として理解すべきと考える人も多い。しかし、生命誕生によって情報も含めて地球上に新しい法則が誕生したと思っている者も少なくないと思う。私はその一人だが、そんな私にとってシュレジンガーの「生命とは何か?」は、量子力学者シュレジンガーが生命を物理学者の目で見たとき、生命固有の法則が潜んでいそうな場所を探している本に思えた。本の中で生命固有の課題として強調していたのが、生命体がエントロピーを増大させないよう、エネルギーや有機物を調達する過程と、同じ個体が増殖する過程だった。これを読んで、いずれかの問題を生物学固有の課題として考え研究を志した若者も多かったはずだ(私は途中で挫折したが)。
この分野について最近書かれた本や論文を読むと、生命誕生過程でこの二つの課題のどちらが先に起こったのかについて暑い議論が続いているようだ。もちろん独立した生物が誕生する時には両方が備わっている必要があり、両過程は卵と鶏のように互いに切り離せない。ただ素人の私からみると、生命に必須の有機物がエネルギーとともに形成されないと、最終的に核酸に頼る増殖自体も考えにくいはずで、有機物とエネルギーを合成できるシステムの誕生から考えてもいいのではないだろうか。
前回述べたが、有機物の合成の可能性については様々な可能性が議論されてきた。この中で、有機物とエネルギーを同時に持続的に生成できる場所として脚光を集めているのが、20世紀後半から相次いで存在が確認されたアルカリ性の熱水を地中深くから噴出している海底熱水噴出孔だ(図2)。この発見によって、生命誕生を有機物とエネルギーから考えるenergy firstの考え方が現在は優勢になっているように私には思える。
図2 熱水噴出孔 Wikiコモンズ
前回メタン、水素、炭酸ガス、アンモニアを熱して電気刺激を与えるとアミノ酸が生まれるユーレイとミラーの実験を紹介したが、この条件では持続的にアミノ酸が作り続けられることはない。しかも、できたアミノ酸からさらにポリペプチドを作るとなると、少なくともかなり高い濃度の有機物が持続的に供給される必要がある。反応を偶然の放電に頼るユーレイ・ミラーの条件では到底不可能だ。
ところが、熱水噴出孔には炭酸ガスだけでなく、後に述べる理由で還元力の強い水素も豊富に存在し、これらが反応してメタンやアセトンを持続的に合成することができる条件を備えている。さら地中深くから熱水が噴きあげる間に、は有機物の合成や重合化に必要な触媒となる様々な鉱物が豊富に存在すると考えられる。そして何よりも、一つの熱水噴出口は、少なくとも3万年以上との長い期間熱水を噴出し続けることがわかっており、熱水噴出孔が生命誕生に必要な有機物とエネルギーを持続的に形成できる場所であることは人の素人の私にも十分納得できる。熱水噴出孔の中には数メーターから数十メーターのチムニーという構造を形成して海水から突き出ているものが存在する。これは鍾乳石と同じで、熱水に溶けていた様々な鉱物が海水で冷やされ沈殿することで形成される。すなわちチムニーの存在は、熱水噴出が生命誕生に必要な地質学的時間維持できる可能性を示唆している。また有機物が安定に存在するのが難しい400度近い熱水もチムニーを通る間に冷却され、有機物の合成や持続の可能な温度になる。
これらの結果から、1)豊富な有機物合成の原料、2)熱や化学エネルギー、3)持続性、の点で熱水噴出孔にできたチムニーが、有機物を持続的に供給でき、生命誕生までの長期間の分子選択過程を維持できる、など熱水噴出孔が現在考えうる最適の生命誕生の現場である可能性が強く示唆される。最近、メタンを構成するアイソトープを調べた研究から、熱水噴出孔周辺に存在するメタンの少なくとも一部(1mM)は生物が関与せずに生成されたことも証明され、熱水噴出孔が有機物合成の現場である可能性は高まった。
ではどのように熱水噴出孔で有機物やエネルギーは作られるのだろう。まず炭酸ガスの還元に必要な水素だが、地殻のシリカが水と反応して蛇紋石が形成される過程で水素が発生することが知られている。水素自身はそのままだと拡散してしまうが、チムニー内に形成された鉱物の壁で隔てられた迷路のように入り組んだ小部屋は熱せられた水素を補足する。
次にこの水素により炭酸ガスが還元される過程だが、化学の苦手な私でも、水素と炭酸ガスや重炭酸塩が反応して次の化学反応が進み、
4H2+CO2→CH4+2H2O
4H2+2HCO3+H→CH3COO+2H2O
上記のように、メタンやアセトンができることは理解できる。これらの反応が起こると最終的にエネルギーは発生するのだが、反応の開始にはエネルギーを加えることが必要で、反応は自然には起こらない。従って、反応を進めるための触媒が必要になる。
このとき参考になるのが、Autotroph(化学合成独立栄養生物)と呼ばれる、無機物から自分で有機物を合成して生きている細菌類だ。メタンを合成するAutotrophは古細菌に属しており、アセトンを合成するautotrophは真性細菌のClostridiaに属していることから、有機物の原材料としてメタンを選んだか、アセトンを選んだかの偶然が、古細菌と真性細菌の誕生まで変わることなく続いたのは驚きだ。最近になってこのようなAutotrophが有機物を合成する代謝経路についての研究が進み、アセトンやメタンを合成する経路に硫化鉄を持つフェレドキシンが重要な働きを演じていることが明らかになってきた(詳細はCell, 151:1406, 2012:この原稿のほとんどはこの論文を基礎にしている)。すなわちフェロレドキシンに含まれる鉄を媒介に水素の電子を炭酸ガスに移転させる反応で、これにより炭酸ガスの還元が自発的に進行する。この結果細菌では、アセトンやメタンをATPと共に合成することができる。このフェレドキシンを媒介とする炭酸ガスの還元反応の最初に必要な自由エネルギーはアルカリになるほど低下することから、高いpHほど反応が起こりやすい。
このフェレドキシンが媒介する電子の転移をすすめる主役は鉄イオンであることから、同じ反応をチムニーに豊富に沈殿している鉄イオンで媒介できる可能性がある。アルカリ熱水噴出孔のpHは高く、水素による炭酸ガスの還元反応は起こりやすくなっているところに、フェレドキシンにも含まれる硫化鉄や硫化ニッケルが電子の転移の仲立ちをすることで、細菌で起こっている有機物合成がチムニーの中で起こるとするシナリオだ(図3)。
図3チムニー内にできた小胞内で有機物が合成される。
また細菌が炭酸ガスからフォルムアミドを合成するのに使っているモリブデンイオンも存在しており、有機物合成に必要なすべての原料が、細菌と同じようにチムニーの中で作ることができる。残念ながらこれを証明する実験はまだ行われていないが、理論的には可能だと考えられている。先に述べたように、熱水孔の周りには生物の助けなしに合成されたと考えられる1mM程度のメタンが存在していることを考えると、実験室で再現されるのも時間の問題ではないだろうか。
あとはチムニー内にできた迷路のような小胞の隔壁に存在する様々な鉱物の触媒活性を使って、アミノ酸、核酸、脂肪酸ができ始める。さらに、チムニー内に形成される熱勾配により温度拡散が誘導され、有機物が濃縮された小胞が生まれる。この中で、前回紹介したような反応が起こって有機物の重合化が起こり、鉱物膜と脂肪膜が複合した高い濃度の有機物が詰まった独立栄養系の小胞ができる。全くの素人の私にとっても、このシナリオは理解しやすく、実際に起こっているという確信を持つ。
こうして出来上がった鉱物と脂肪酸の膜で仕切られた小胞には高い濃度の様々な有機物が詰まっているが、ここまでは完全に物理化学の法則のみで進む点が重要だ。すなわち生命誕生のプロセスはここから始まる。次回はこの無機物と合体した中間段階が、チムニーからどう独立できるのか(図4)考えてみよう。
図4:チムニーないの無機物と新たに合成された有機物の合体した中間段階が、チムニーから独立した時生物が生まれる。