1. トップ
  2. 語り合う
  3. ネアンデルタール人のゲノムからわかった事

進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

バックナンバー

ネアンデルタール人のゲノムからわかった事

2014年10月1日

ネアンデルタール人の発見には多くの物語がある。19世紀、技術革新の結果地中深くまでボーリングが可能になり、鉱山学がブレークする。技術が進むと科学も進む。地球の歴史をそれぞれの地層の中から探り当てようとする地質学や考古学が世界各地で加速する。そんな中、1856年8月、デュッセルドルフ近くのネアンデル谷の石灰岩掘削場で保存状態のいいネアンデルタール人の体躯部に相当する16個の骨が発見される。最初ほとんど何か良くわからない骨として捨てられそうになったようだが、人類学者フールロト及びシャーフハウセンにより詳しい調査が行われ。これが現代人以前にヨーロッパに生息していた新しい人種であるとして、1857年6月にプロシア自然史学会ラインランド部会で発表される。しかし当時のドイツ人類学の権威達は、これを間違った解釈として無視する。新しい原人の発見の可能性がもう一度、日の目を見たのは1863年になってからで、英国ニューカッスルで英国科学振興会の主催する鉱物学者、地学者、化学者の集まる学会でウイリアム・キングがこの骨が私たちホモサピエンスとは異なる人類の骨である事について報告し、ネアンデルタール人の存在がようやく認知された。おそらくダーウィンの種の起原が1859年に発刊されていた事も、新しい原人がイギリスで重要な発見と受け入れられるのに貢献したのではないだろうか。いずれにせよこのいきさつから、ネアンデルタール人の学名にはHomo Neanderthalensis Kingとキングの名前がついている(図1)。

図1:ネアンデルタール人発見に尽くした人々。

結局、当時のドイツ学会の権威者達の言う事を信じた結果が、ネアンデルタール人の学名にイギリス人の名前がついてしまうことになった。ドイツ人にとっては痛恨の極みだろう。その後のネアンデルタール人研究について紹介するためには本を一冊書いても足りないので、歴史は全て割愛する。興味のある方にはゲノム解析までカバーしたネアンデルタール人の研究を紹介した『The Neanderthals Rediscovered』をお勧めするが、残念ながら日本語訳が出ていない。図2はドイツネアンデルタール博物館に陳列されている人形で、今の世界に彼らが現れても区別できないかもしれないと皮肉った展示だ。

図2:ネアンデルタール人を見分けられるだろうか?

さて、20世紀の終わりになるまで、ネアンデルタール人研究の主体は骨や遺物の解析だった。勿論遺物解析も様々な事を教えてくれる。今年の8月Natureに掲載されたオックスフォード大学からの論文では、ネアンデルタール人特有のムステリアン石器と、ホモサピエンスの文化を代表するシャテルペロン石器、ウルッツァ石器の年代測定を正確に行い、ネアンデルタール人と我々の先祖が45000年から40000年前に隣り合って生活していた事を示している(Nature, 512, 306, 2014)。しかしこれらの手法だけではネアンデルタール人を肉体的に実感するには多くの限界があった。例えばどんな肌の色をしていたのだろうという問いだ。中でもこれまでの方法では証明が困難だった最も重要な問いは、ネアンデルタール人と我々の先祖は交雑したのかと言う問いだ。この問いは、私たちにもネアンデルタール人の遺伝子が流れているのかと言い代える事が出来る。確かに、同じ洞窟にネアンデルタール人とホモサピエンスの骨が出土するケースはある。しかし骨や遺物からだけでは、交雑が起こったかと言う問いに決して答える事は出来ない。ネアンデルタール人の骨からDNAを取り出してその配列を解読するしかこの問いには答えられない。この問題にチャレンジしたのが現在ライプチッヒのマックスプランク人類進化研究所のスバンテ・ペーボさんのグループだ(図3)。

図3:スバンテ・ペーボさん

2008年ネアンデルタール人のミトコンドリアゲノム、2010年には全ゲノムの解読に成功した。ここではミトコンドリアゲノム解析の話は飛ばして、早速全ゲノム解読の論文に進もう。

すこし余談になるが、琥珀に閉じ込められた蚊が吸っていた血液から恐竜の遺伝子を取り出すアイデアは、映画ジュラシックパークで描かれたが、説得力がありフィクションには思えない話だった。事実、マイケル・クライトンの小説は1990年発刊だが、その後1992年に琥珀の中の昆虫からDNAを取り出し解読したと言う話がトップジャーナルに掲載された(Science257, 1933, 1992, Nature 363, 536, 1993)。結局発表された結果は全てPCRで遺伝子増幅を行った時のエラーだとする結論に終わり、今ではまじめに検討する研究者はいない。最近になって、琥珀がDNAに及ぼす化学的効果が再度検証され、琥珀成分と触れるだけでDNAが50年以内に完全分解すると言う論文が発表された(PlosOne,8,e73150, 2013)。つまるところ、夢は消え去り、ジュラシックパークはフィクションの世界を超えられないと言う結論になった。

しかしこのエピソードからわかるのは、古代DNAの解読のためには、幾つもの高い壁を乗り越えて行く必要がある点だ。古代DNAを扱うときのまず大きな問題になるのが、死後に外界から侵入した様々な生物のDNAとの区別だ。最初にゲノム解析が行なわれたネアンデルタール人の骨から取り出したDNAの95−99%は微生物由来のDNAだった。もう一つの問題は、DNAも時間がたてば変性し、先ずCが脱アミノ酸化してTと読まれるようになる。また、断片化も進み、ついには完全に分解してしまう(この事は化石ゲノムが得られる理論的限界があり、現在の遺伝子配列解読法ではこの壁は破れない事を意味する)。このように、様々な変化が加わった古代DNAの問題を一つ一つ解決し、本当のゲノム配列を推定するために20年位の時間がかかっている。この大変な苦労話については、ペーボさんが最近出版した『Neanderthal Man』に詳しいので是非読んでほしい。例えば、ペーボさんの研究所を含めて、この分野の研究所には、骨からDNAを分離するための特別な部屋があり、どんな事があっても、1−2人の決められた人だけしか入ることを許されない。これは新しい人が部屋に入ると、その人からのゲノムの混入が必ず起こるからだ。この結果、古代人と思って調べたゲノムが、実は現代人のゲノムだったと言う事はざらにある。そのためにも、完全にゲノム配列が明らかになっている人だけが入る事を許される部屋が必要になる。もし配列が明らかなら、サンプルに混入しても容易に排除できる。これは一つのエピソードにしかすぎないが、この様な苦労の結果2010年になってついにネアンデルタール人の全ゲノムが満足できる精度で解読され、Science誌に発表された。本文は12頁にわたる論文だが、更に176頁の補遺がセットになっており大作だ。記念すべき論文なので、今回はこの論文だけに焦点を当ててしかし簡単に紹介する。

論文の前半は勿論読まれたゲノムがどれほど正確かを示すために費やされている。それまで20年の蓄積を使い、99%はネアンデルタール人のゲノムを代表していると判断できる所まで持って来ている。その上で、先ずクロアチアのヴィンディヤ(Vindija)洞窟から出土した3本の骨(そのうち2本は同一人物から)のゲノム配列を次世代シークエンサーで解読し、現在のヒトゲノムや類人猿のゲノムを参考にしながら並べられた。こうして現れたゲノムと、ヨーロッパの他地域から出土したネアンデルタール人の部分的DNA配列などから、調べられた全てのネアンデルタール人はホモサピエンスとは完全に異なる系統である事が確認できる。即ち、現代人同士で見つかる差と比べると、現代人とネアンデルタール人の差は大きく、1856年フールロトとシャーフハウセンが最初に報告した通り、私たち人類とは異なる人類がヨーロッパや西アジアで暮らしていた事が確認された。しかし明らかにネアンデルタールと現代人でアミノ酸配列が異なっている具体的な遺伝子は全部で6つしかない。要するに、私たちとそれほど違わない。そのうち3つは皮膚の構造に関わる遺伝子で、氷河期にヨーロッパで生き抜いたネアンデルタール人を知る上で重要な手がかりになると考えられる。他にもマイクロRNAなどでも興味深い違いが見つかっており、現在解析が行われている。この論文では様々なゲノム情報解析がこれでもかこれでもかと行われている。ただ詳細は割愛して、最も興味ある現代人との交雑の問題に進もう。ネアンデルタール人のゲノムを、アフリカ人、ヨーロッパ人、アジア人と比べると、ネアンデルタール人とヨーロッパ人、アジア人の距離はほとんど同じなのに、アフリカ人だけが遠い事がわかった。また、ネアンデルタール人のゲノムは確かにアフリカ人以外の現代人に入って来ているが、解読したネアンデルタール人ゲノムには全く現代人の遺伝子が流入していない。この結果は次のように解釈されている。

「ネアンデルタール人と現代人が接して暮らしていた地域は存在した。この様な限られた地域では確かに交雑が行なわれている。ただ、大規模ではなく極めて限定された交雑だったと思われる。私たちの祖先はその後人口を増大させる。その結果限られた流入でもネアンデルタール人の遺伝子は集団の中で増幅され伝わって来た。一方、ネアンデルタール人の人口は減少の一途をたどっり絶滅したため、もし私たちの祖先の遺伝子が流入していても増幅できず痕跡が消えてしまった。この結果、遺伝子流入は一方向的に見える。」

勿論他にも可能性が考えられるが、この時点で最も可能性が高いとペーボさんたちが考えた図を最後に掲載しておく(図4)。

図4:ネアンデルタール人と現代人の祖先はおそらく限られた機会ではあったが交雑している。アフリカ人はネアンデルタール人のいない南に移住したため、交雑の証拠はない。

ペーボさんたちの研究のおかげで、私たちの先祖とネアンデルタール人の交雑は確かな事実となった。今残されたゲノムからネアンデルタール人の実像が明らかになるとともに、私たち自身もネアンデルタール人の遺伝子により助けられている事も明らかになって来た。これについては次回に紹介する。

[ 西川 伸一 ]

進化研究を覗く最新号へ