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進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

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ゲノムと自然選択

2014年9月1日

進化論の柱は、一つの種内の多様な個体の中から環境に合ったものが選択されるとする自然選択だ。しかし13話で例に挙げた身長、毛色の例では、どのような環境要因によってこれらの形質が選択されたのかわかりにくい。例えばピグミーの低身長については、ピグミーが農耕へ移行せず狩猟民として生きていたため低身長が選択されたと言われている。食料の少ない熱帯雨林で生き残るため、食事が少なくて済み、発散熱量が低い低身長が有利というわけだ。ただ、狩猟集団が常に低身長とは限らない。この意味でも、環境変化が先にあり、それに適応してゲノムが変化したことが確かなモデル系が必要だ。この条件を満たす環境要因として研究が進んでいるのが高地順応だ。ヒトだけでなく、様々な動物で高地に住む集団と、低地に住む集団が比べられ、高地順応に相当するゲノム変化が調べられている。多くの研究が中国チベット地区のヒトや動物を調べた研究で、今日紹介する多くの論文は中国からの論文だ。

さて高地順応でこれまで最も研究されてきたのは勿論人間だ。ただ、高地順応の仕方にも様々あることは、ゲノム解読が可能になる前から指摘されていた。高地に住む集団では、チベット族とアンデス高地先住民が有名だが(図1)、アンデス先住民ではヘモグロビン濃度が高い一方、チベット族では逆に低い。このように、高地と言う選択圧に対して様々な経路が開発されているのがわかる。

図1 (左)アンデス高地人、(右)チベット族。Wikimedia Commonsより。

中でもゲノム研究が最も進んでいるのがチベット族だ。チベット族が高地に住み始めたのは間違いなく7000年以上前で、おそらく20000年位前ではないかと想像されている。高地と言うと温度は低く、食料が少なく、道も険しいなど様々な状況が想像できるが、低地と比べた時最も大きな違いは酸素が少ないことだ。私も四川の美しい景観、九賽溝、黄龍風景区を訪れた時、この地域がチベット自治区にあることを知ったが、黄龍風景区だと3000m以上の高さで早足で歩くとすぐ息が切れた。従って、チベット高地族は平地の約6割の酸素濃度で暮らしている人達だ。まあ我慢すれば順応すると言えるのだが、低酸素に対しては身体のほとんどの細胞が同じメカニズムを通して反応できるようになっている(図2)。

図2 低酸素反応のメカニズム。正常酸素濃度では、転写因子HIF1α常に分解されているが、この分解が低酸素になると起こらなくなり、低酸素反応性の遺伝子転写が活性化する。

低酸素に対して鍵になる分子がHIFと呼ばれる転写因子で、α型とβ型が会合して酸素が低くなった時に必要な様々な遺伝子の転写を高める(例えば血流量を増やすための血管増殖因子遺伝子)。この分子の酸素濃度依存的調節だが、通常の酸素濃度では、酸素に反応するEGLN分子とVHLと言う分子がこのHIFα分子を常に壊し続けている。しかし酸素が低下すると、EGLN/VHLの作用が低下し、HIFαはHIFβと会合して低酸素反応性遺伝子の発現を誘導できるようになる。この他に、中ぐらいの反応を誘導する経路もあり、それにはHIF1ANと言う分子が関わっている。この経路は人だけでなく、ほとんどの動物で同じ分子が存在することから、高地順応は当然これらの分子に関係する分子の量や質を変化させることで進んで来たと予想できる。2010年Science誌7月号にアメリカユタ大学、及び中国北京ゲノム研究所からチベット族のゲノムを比べた論文が並んで発表された。(Simonson et al, Science 329,72, Yi et al, Science 329, 75)。ユタ大学の研究は主にマイクロアレーを使って調べる遺伝子多型、北京ゲノム研究所の論文はチベット人の転写されている遺伝子部分(エクソーム)の核酸配列、を比較して、高地順応に関わる遺伝子を探索した研究だ。全ゲノムレベルの多型解析から、高地順応と強く相関する遺伝子多型が10種類の遺伝子で認められたが、そのうちの3種類がHIF1αの活性抑制に関わる遺伝子だった。さらに残りの2種類はHIF1αによって誘導される遺伝子だ(図3)。

図3 高地順応の過程で生まれて来た多型。

この多型が全て高地順応に関わっているとすると、適応が一つの遺伝子の突然変異が選ばれると言った単純な過程ではなく、多くの遺伝子の変異が積み重なった結果であることを示している。とすると環境による自然選択も、それぞれに対応する小さなインパクトが集まった結果になる。無論納得はできるが、ただ選択要因が分散するとなると、これら多型がどのように選択されて来たかの過程を想像することは難しくなる。そんな時、これとは全く違う視点の研究がNature Genetics (Lorenzo et al, オンライン版、2014)に掲載された。この論文によると何と85%のチベット人がEGLN1分子のアミノ酸配列の変化を伴う同じ変異を持っていることが発見された。図2で示したように、EGLN1は酸素があると活性化されVHLを介してHIFを分解する。低酸素に対する細胞の反応を調べた実験から、予想通りチベット人の変異では酸素への感受性が上昇し、低酸素反応が鈍化していた。即ち低酸素反応の起こる酸素濃度が下がり、低酸素反応が起こりにくくなっていると言える。さらに両方の染色体でこの変異が揃うと、低酸素で赤血球が増えると言う普通の反応も抑えられていることがわかった。この結果から、この突然変異が、低酸素状態でも赤血球が増えないと言うチベット人高地順応の特徴を決定する多型であることが明らかになり、チベット族は低酸素反応を押さえつつ、それに代わる機能(例えば血液循環量など)を開発しているように思える。様々な証拠から、この変異は約8000年ほど前に起こったと考えられる。ただ、もしこの変異が正常人に起これば高地で生きられないだろうから、先に低酸素反応に依存しながらも、この生理学的ストレスを減らすための様々な順応が進み、8000年ごろ、低酸素反応が起こりにくくなる変異が許容できる準備が整った所で、この変異が維持されるようになったと考えられる。低酸素反応に頼らない身体とは、代謝、心血管機能などで達成できるが、民族間の交流があれば順応はもっと早く進む。今年2月、チベット高地族がインドのシェルパと漢人との交雑により分離して来たのではないかと言う報告が出た(Nature Communications, Jeong et al, 5:3281)。面白いことに、シェルパもチベット族と同じで低酸素でも赤血球が増えない。ひょっとしたら、EGLN1の多型は先ずシェルパに発生してチベット族に移行して来たのかもしれない。先ずはシェルパ族でのこの遺伝子変異の特定が待たれる。いずれにせよ、これまで歴史や考古学と考えられて来た領域に急速にゲノム科学が進出していることがわかる。

さて、これはヒトでの話で時間的には1万年に満たない時間で起こった適応だ。ではヒト以外の動物種での高地適応はどうだろう。図3に示したのは、様々な動物種で高地順応と関連することが疑われる多型が見られた遺伝子を、既に述べたヒトと比べている。ここで注意する必要があるのは、高地順応と言っても自然に高地に順応する場合と、家畜やペットとしてヒトにより交配される間に順応した動物の2種類があることだ。全く野生のまま高地順応した代表としてはチベット・アンテロープがある(図4)。我が国で言えばカモシカの様な動物だが、種としては100万年以上前から高地順応を進めた種だ。このゲノムが解読され高地順応に関わる遺伝子候補が調べられた(Ge et al, Nature Communications, 4:1858, 2013)。リスト作成方法には少し無理があるのではと個人的には感じるが候補として上がった遺伝子はヒトで高地順応との関連が指摘された遺伝子とは全く異なっていた(図3)。一方、ヒトによって交配されて

図4 チベットに住むアンテロープと、マスティフ犬。Wikimedia Commonsより。

高地順応したことが間違いないイヌについても調べられた。チベット産のイヌとして有名なチベッタン・マスティフ(図4)を含め、様々な高さに住むイヌのゲノムが調べられた(Gou et al, Genome Research, 24:1308, 2014)。低地に住むイヌには見られない多型の中から、低酸素へ順応する過程で出来て来た多型をリストすると、図3に示すように今度はヒトの高地順応に関わった遺伝子が幾つかリストされて来た。特に、EPAS遺伝子では発現する遺伝子自身のアミノ酸変化を伴う同じ多型が3種類のチベット高地に住むイヌだけに存在することが明らかになった。この変異はチベットのイヌ以外、ほとんどの脊椎動物には存在していない。と言うことは、この変異が高地順応への道を開く大きなインパクトになっていることを示している。この3系統が形成される過程でおそらく交配による遺伝子移入が起こったと想像されるが、ヒトと同じで一つの分子の構造変化を伴う変異をベースに他の多型が積み重なっている様子がうかがえる。面白いのは、100万年以上かけて適応して来た種に見られる遺伝子変化は、1万年程度、あるいはそれ以下の短い期間の適応の過程で選ばれる遺伝子変化とは大分違っている可能性のあることだ。最初は少し無理をしても、効率の高い変異が選ばれ、その後はより無理のない変異へと徐々に変化して行く。もしそうなら、高地順応に伴うゲノム変化からまだまだ学ぶ所は大きい。

と思っていたら最近になって、チベット族の高地順応過程で起こった思いがけない交流過程について報告した更に驚く論文が発表された。次はこの話を紹介する。

[ 西川 伸一 ]

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