顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。
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3種類の生物区分の誕生
2014年5月15日
読者の皆さんはドイツの数学者・哲学者ライプニッツ(図1)の「モナド論」と言うのはご存知だろうか。乱暴に要約すると、あらゆる生物は不変不滅の単位モナドが集まって出来ていると言う考えだ。
図1 ゴットフリート・ライプニッツ
【Gottfried Leibniz】
積分記号は彼の考案による。微分積分学のクレジットを廻ってニュートンと争った。
ライプニッツの考える生命には動物も植物もない。目に見える生物は全てモナドと呼ぶミクロの生命が集まって形成されており、このモナドは永遠に続く。即ち身体が死んで分解してもモナドは違う形で続く。現代人から見ると荒唐無稽の考えと言わざるを得ないが、生物や人間の身体は機械にすぎないと言うデカルトの2元論に対する当時としては有力な説だった。しかしなぜこのような荒唐無稽の考えを抱くようになったのか? ライプニッツ自身がモナド論を正しいと確信した背景には、実はレーベン・フックによる顕微鏡下のミクロの世界の報告があった(図2)。一滴の水滴の中にうごめくミクロの生命の存在が、生物には動物と植物しかないと考えていた当時の人達に与えたインパクトは計り知れない。事実この報告に出会った当時パリにいたライプニッツはドイツへの帰路わざわざオランダを回ってレーベン・フックに会いに行っている。レーベン・フックの報告がライプニッツのモナド哲学の完成に如何に重要だったかがわかる。
図2 レーベン・フックの微小生物図
しかし、細菌や単細胞生物がそれぞれ独立した別々の生命である事が当たり前の私たちには、あらゆる生物に共通の単位としてのミクロ生物と言う考えは荒唐無稽以外の何者でもない。事実その後の微生物学の進展により、細菌が独立した生物である事が明らかにされる。独立した生命としての細菌や多様な単細胞生物の発見は、それまで植物や動物の形態や生殖可能性を元に行われていた分類学の書き換えを迫った。しかし必要はわかっても、顕微鏡下で続々と発見される単細胞生物を、18世紀に確立したこれまでの分類法に統合するのはたやすい事ではない。これは私の想像だが、ダーウィンの全ての生物は共通祖先へと系統的につながっていると言う考えが新しい分類法の開発を模索する研究者の背中を押し続けたのだろう。種の起原からほぼ80年後、現在最も重要な生物分類法がフランス人シャットン(図3)によって提案される。細菌と緑藻という2種類の単細胞動物の違いを調べていたシャットンは両者の間に生物を2分する大きな差がある事に気づく。即ち細菌は、核を持たず、ミトコンドリアや、葉緑体もない。一方、緑藻には核、ミトコンドリア、葉緑体が存在する。この観察から、生物は核やミトコンドリアを持たない原核生物と、核やミトコンドリアを持つ真核生物に大きく分ける事が出来ると提案した。この分類法が完全に受け入れられるには、第二次世界大戦が終わるまで待つ必要があったが、生物学にとって最も重要な分類区分が提案されている。即ち単細胞の形態の違いで定義する事が出来る生物のドメインだ。私自身もマイヤー(Ernst Mayr)の論文を読むまで原核生物と真核生物を誰が明確に区別したか全く知らなかった。これほど大きな貢献をしているのにシャットンの事がほとんど語られないのは不思議だ。
図3 エドゥアール・シャットン
【Eduard Chatton】
フランスの動物学者、海洋生物学者。
既に述べた2名法を基礎にした分類法によれば人間はHomo sapiens(種)、ヒト属(Homo)、ヒト科、サル目、ほ乳綱、脊索動物門、動物界と分類できる。シャットンにより更に上位のドメインを使うと、ホモサピエンスも植物と動物の全てが含まれる真核生物と言うドメインに分類が可能になる。これにより、ダーウィンやヘニッヒ(第4話で登場)が夢見たように全ての生物を共通祖先(単細胞)につながる一つの系統としてより具体的に考えられる様になった。原核生物が多様化を重ねる間に、真核生物に必要な様々なメカニズムを20億年と言う長い時間をかけて獲得し、結果核やミトコンドリアを持つ生物が進化したとするこの考えは1977年ウーズとフォックスがアメリカアカデミー紀要に3つのドメインを提唱する論文を発表する(図4)まで長く受け入れられ続けた。当時ウーズは第4話で紹介した遺伝子配列を使う分子系統学の方法をいち早く取り入れて形態では区別しにくい単細胞生物の分類を試みていた。この目的には原核生物・真核生物を問わず全ての生物に存在している遺伝子の配列を使って比べる必要があるが、ウーズは翻訳メカニズムの一つ16SリボゾームRNA(rRNA)の配列を使って比較を行った。その結果、それまで原核生物の中に含まれると考えられていた古細菌アルケアが真核生物に系統的にも近縁の独立したドメインである事を提案した(図5)。
図4 カール・ウーズ【Carl Woese】のポートレート(左)とウーズとフォックスが執筆したアルケアの独立についての論文(右)
図5 rRNA配列の比較から書くことが出来る3つのドメインの系統樹の例
ウーズの3ドメイン説に対しては、わざわざアルケアを原核生物から分離する必要はなく、真核生物に近い原核生物と考えればいいと言うマイヤーなどの反対意見もあった。しかし配列だけでなく、例えば真核生物には必須の細胞骨格分子アクチン分子に対応する遺伝子は多くのアルケアに認められるが、原核生物にはない事がわかる。他にも転写因子の中には真核生物とアルケアには存在するが、原核生物にはない分子が見つかっている。この結果現在では、生物には少なくとも3つのドメインが存在するというウーズの提案は広く受け入れられている。もちろん、3つのドメインが全て共通の祖先から分岐して来たのか、他にもドメインはないのかなど合意を見ていない疑問は残っている。いずれにせよ、アルケア・ドメインの発見は第4話で紹介した遺伝子やアミノ酸配列を用いた系統樹のパワーがはっきりと示された例になった。