顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。
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【始めに】
2014年2月17日
始めに
今年から生命誌館ホームページの新企画として、今進化研究がどのように行われているのか皆さんに紹介したいと思っている。顧問の西川がページを書き綴っていこうと思っているが、折に触れて生命誌研究館の他のメンバーにも話題を提供してもらう予定だ。
と言ったが、実を言うと私は進化研究の経験は皆無だ。今年研究から身を引くまで、今流行りの「幹細胞研究」を30年以上にわたって続けきた。進化について論文はおろか、セミナーや授業をした事も全くない。それどころか、「進化の話をし始めたら引退は近い」と聞いて納得して来た人間だ。そんな私が昨年4月から生命誌研究館に来ることになった。来てすぐ研究館のメンバーは、実験研究に携わるかどうかに関わらず、先ず全員が生物進化に関わっていると言う意識を持っている事が理解できた。当然私だけが無関係と言うわけにはいかない。そう覚悟してしまうと何をするかは決まってくる。まず、世界で進化がどのように研究されているか知らなければならない。と言うより、進化を研究するとは何をする事なのか?これを知ろうと、4月から進化についての論文を出来るだけ読む事にした。残念ながら、進化研究を掲載する全ての雑誌に目を通す事は難しい。結局は、有名雑誌に掲載されている進化研究を選んで読み、必要とあれば引用されている論文にあたると言う事にして、とりあえず好きなように読んで来ただけだ。しかし半年以上たってみると自分の頭の中に進化研究を整理していく引き出しが出来た実感が生まれて来た。そこで、生命誌館のホームページを借りて「進化研究を覗く」と題した連載を書いて、進化研究の現状についての私なりの意見を紹介する事にした。特にこれから生物学研究を目指す若い人達に面白い読み物が提供したいと思っている。
進化研究のテーマ
進化を思想として考えていくと、ダーウィンの偉大さは際立つ(これについては現在本を書いており、連載の最後にでも紹介したい)。しかし進化を科学研究のテーマとして捉える時、ダーウィンから始めてしまうと前に進めなくなるのが問題だ。実際、ダーウィン以後の進化研究は、中立論を始め全ての説がダーウィンを基準としてしまっている様に思える。私自身はこれまで、分子生物学的な実験手法を利用して研究を進めて来たが、例えばDNAが2重螺旋である事を発見したワトソンやクリックを意識して研究する事もないし、また論文に引用する事もない。一方進化研究は、中立説であれ、あるいは獲得形質の遺伝を組み込んだ理論であれ、ダーウィンを意識し過ぎではないかと私には思える。ダーウィンは確かに偉大だが、進化研究はダーウィン研究ではないはずだ。
では進化研究の課題とは何だろう?私は、「私たち人間も含め、今地球上に存在するあらゆる生物が進化して来た過去の歴史について研究する事」ではないかと思っている。しかし、研究と言う観点で見た時過去について調べる事は難しい。ともすると私たちは起こった事は100%確かで、これから起こる未来は不確かだと思ってしまう。しかし、そもそも実験研究では、未来の結果を予測し実現する事が目指される。ガリレオのピサの斜塔での有名な実験では、起こる結果が予測され、それを未来のある時点で実際に起こしてみせている(図1)。一方、過去となると事象が起こった現場を観察する事は決して出来ないし、ましてや過去を操作する事など不可能だ。それでも私たちは、例えば2011年の3月11日東日本大震災が起こり、1923年9月1日に関東大震災が起こった事は100%確かだと思っている。しかし、なぜ私たちはこの二つの地震が何かの錯覚ではなく、確実だとわかるのだろうか?例えば、地震を経験した事のない外国人が今日本に来ても、地震が起こった事を確信させる事は簡単だ。おびただしい量の記録、証言、様々な科学的な証拠、そして何よりも今でも現場に行けば誰もが地震の爪痕を実感する。この例から、人間の記録、自然の記録、そして科学法則が過去に何が起こったかを知るために必要である事がわかる。しかし過去についての研究には厄介な問題が一つある。震災の跡に足を運んでも、全てが誰かが企んだ錯覚だと言い張って信じない事が可能なことだ。過去を現在に繰り返させることが出来ない以上、再度実際に体験させる事はできないため、証言やデータを信じない人を論破しようとしても水掛け論になる。これが1999年に恐怖の大王が来るというノストラダムスが過去に行った予言が、1999年が来て嘘だと納得できたのとはずいぶん違う点だ。
とは言え、さすがに先の震災を錯覚だと言い張る人は外国にもほとんどいないだろう。しかし分野が違ってくると水掛け論が当たり前になる。いわゆる歴史認識問題が典型だ。起こった事なのに、20世紀の事なのになぜ認識の違いが生まれるのか。同じ事が、生物の過去についての研究にも言える。キリスト教原理主義は、あらゆる生物は世界が生まれた時に神によって造られノアの方舟に人間とともに乗せられて生き延びたと教える。生物が時間とともに自然に変化し、種の数が増加して行く事はこの教義ではあり得ない。ダーウィンが発見した多くの事実を突きつけても、更にはダーウィン以降得られた多くの生物変化と多様化の証拠を見せても、「歴史認識の差」と耳を貸そうとしない。幸い現代ではこの様な「見猿・聞か猿」は少数派だ。しかし17世紀以前の西欧では生物の過去はそのまま神による創造だと考えるのが主流だった。わかりやすく言えば、権威のある人が「過去の出来事はこれだ」と教義を押し付けていた。さらに17世紀までのキリスト教世界では、神による創造説を認めるかどうかは、生物の研究者にとって生きるか死ぬかの選択だった。神は進化が必要な不完全な創造物を造るはずがない。
このように、体験できない過去は科学に取って今も鬼門だ。都合の悪い記録や法則は見ないようにする、見せないようにする事で自分の意見を主張し続ける人達が必ずいて、論破しようがない。特に「見てはならない」と権力が働くと、科学は成立しなくなる。幸い、この高い権力の壁も17世紀に入ると揺らぎ始める。では「昔の人たち」が「実際の過去」にどのように目を向け始めたのか?このことを知る事で、今の私たちにも、進化研究の伝統を知る事が出来る。次回は過去の歴史を直視し始めた自然史思想の台頭を見てみよう。