研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
月二回、スタッフが交替で更新しています。
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【考えをまとめる】
昨年、周りから焚き付けられて「考えを文章にまとめてみよう」とふと思いました。以前にもどこかに書きましたが、頭の中に何となく存在する概念は、わかっているような気になっていますが実際には理解できていないことが多いのです。そういう場合は文章にまとめようとするとすぐにぼろが出てきます。だから、きっちりとまとめてみようと考えたのです。 この一年間、余暇を文章書きに費やしました。当然のことながらあらゆるところに論理の不備が現れ、あとにも先にも進めない状況に何度も突き当たりました。頭で漠然と感じていることを文章にすることの難しさに、作業は遅々として進みませんでした。そんな苦闘ののちに「かたち論」と「ことば論」という題名の雑文がようやく書き上がりました。それぞれ原稿用紙に換算して80枚と120枚ほどですので、短編小説くらいのものでしょうか。PDFファイルに組んで小冊子とし、さらに研究室の仲間に挿絵も描いてもらって、ひとり悦に入っています。 「かたち論」では、私が採用している考え方の根本を論理的にまとめようと努力しました。「かたち」「意味」「時間」について考察をしたのです。しかし残念なことに、まだまだ頭にあるものとはどこかで齟齬を来たしているような気がします。きっとこの辺りが私の作文能力の限界なのでしょう。対して「ことば論」では、「かたち論」の執筆中に「ことば」に関する考察が一人歩きを始めたので、それを取り出してまとめてみたものです。分量的にはこちらの方が1.5倍ほど大きくなりましたが、これはいわば「枝葉」なのです。「ことば論」で、言語と思考の関係性を説明するために日本語と英語を比較して論じていたはずが、気がつけば英語の勉強の仕方の解説書ができあがってしまいました。本来の趣旨から大きく逸脱しました。しかも、「文法の勉強では英語は上手くならない!」みたいな過激な結論になってしまいました。当初はこんなことなど全く考えておらず、ただ論理を組み立てた結果として「文法不要論」に至ってしまったのです。英語の先生方からは間違いなく大目玉を食らうことでしょうから、これは絶対に門外不出としなければなりません。 これで「かたち」を考える方法論を、不完全ながらもまとめ終わったことにして、これからいよいよ、生きものの論理について考え始めます。いまのところは「ゲノム論」と「ゲシュタルト生物学論」という大枠でまとめようと思っていますが、書き始めたら論理が一人歩きして皮算用どおりにはおそらく進まないでしょう。しかし、これはこれで楽しみでもあります。 | |
[脳の形はどうやってできるのかラボ 橋本主税] |