研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
月二回、スタッフが交替で更新しています。
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気付いてますか?日の出が一番遅いのは1月初旬だということを。知っていますか?日の入りが一番早いのは12月初旬だということを。知っている人には「何を今更」と言われそうですが、「日の出が一番遅く、日の入りが一番早いのは冬至」だと信じている人が結構いるのです。12月にはいると5時になる前に暗くなり始めますが、冬至の頃には5時でも少し明るくなってきています。日常に心配りができないと、何か大切なものを見逃しているように思えます。でも、「今どきの若者は・・・」などと苦言を呈しているのではありません。
話は変わって・・・・私は小さい頃から山登りが好きでした。新神戸駅のすぐ近くに住んでいましたから、気が向けば山に入っていました。高校の時など、夜中にふと思いついて山に入ったこともあります。布引の滝から天狗道を通って摩耶山頂に登り、そのまま六甲山頂を経て宝塚まで30キロほどの山道を懐中電灯一つで歩き、阪急電車の始発に乗って帰ってきたこともあります。本当に自然に囲まれて育ったのです。でも、ただひたすらに歩くだけの山登りしかしたことがありません。私の山での思い出は、額から流れる汗が足下にぽたぽたと落ちる景色です。川のほとりの大きな岩の上に座って、何時間もぼーっとすることもありました。でも、後から考えるとその時間は何も考えていないのです。頭の中から全てのものがなくなった時間なのです。瞑想とかいう上等なものではありません。ただただ、自然の中で脳みそを「空」にしていただけのことです。季節の移り変わりに心を向けたことなどおそらく一度もありません。季節の草花、季節の臭い、虫の声から季節を感じる、などということを一度もした記憶がありません。「あっ、アブラゼミが鳴いている。」この言葉から表現される季節が分かりません。私にとって蝉の声は、ただ漠然と「蝉の声」なのです。ツクツクホウシもミンミンゼミも一緒くたに「蝉」なのです。
学生時代、私は京大理学部の植物学教室に籍を置いていました。春と秋に植物分類学の研究をしている先輩と山に入るのがその時の習慣のようになっていました。彼と最初に山に入った時のことは今でも忘れません。学部の時に山岳部に所属していたその先輩は、意外なほどゆっくりと歩き、何かの拍子に立ち止まっては草花をじっと見つめるのです。珍しい昆虫がいたらただひたすらにそれを観察し続けるのです。もちろん研究しているのではありません。ただ、何の意味もなく、気付いた植物や虫に好奇心を持つのです。私は「ああ、これこそが生物学者なんだ」と思いました。私などは似非生物学者だと思い切り気付かされ、後頭部をバットで殴られた気持ちがしました。
春には摘み草、秋にはキノコ狩りです。帰ってきてから図鑑を片手に選り分け食べられるものはしっかりと頂きました。アケビの外連味のない甘さに感動し、ムカゴの素朴な味わいに心を打たれました。吉田山で椎の実を取り、理学部の銀杏並木でぎんなんを取るのは恒例行事でした。自然のぬくもりに生かされていることに気付かされました。命の尊さを、理屈ではなく身体で感じました。これを知らずして何が生物学者なんだと恥じ入るばかりです。この文章を書いていて、ふと、水上勉さんの「土を喰らう日々」を思い出しました。本棚の奥から見つけ出し読み返して「ああ、そうなんだ」と腑に落ちるものがありました。
研究は競争だという価値観が存在しますし、そのように考える人達を否定するつもりなど毛頭ありません。でも、勝ち負けを競ったり、雑誌の名前を過度に尊重したりするのではなく、理科の研究とは、研究者の個人的な趣味や価値観において「面白いから行なう」ものだと私は信じています。そして、日常の小さなことに目を向ける感性がその原動力として存在するのだと思うのです。高名な研究者の少なからずに昆虫少年だった方がいます。そして、その事実に今更ながら納得してしまうのです。
下に書いているのは中学生の時に口ずさんでいた歌の一節です。分かっていたつもりで、実は全く理解できていなかった歌詞の意味にあらためて気付かされたように思います。
Do you care what's happening around you?
Do your senses know the changes when they come?
Can you see yourself reflecting in the seasons?
Can you understand the need to carry on?
[脳の形はどうやってできるのかラボ 橋本主税]
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