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ラボ日記

研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【森の歌】

吉川 寛

 奈良県川上村、大台ケ原の入り口にある吉野川沿いの村、杉と檜が緑濃い急斜面に猫の額ほどの部落が散在する林業の村だ。林業が衰退して若者が流出することを憂えた村の小学校で、2年前から総合学習を先取りして林業体験をとりいれていることが紹介された(2002年7月21日朝日新聞)。全校生徒19人の小規模校だからできたことと評価しているが、その学校がこの春もう一つの村立校と合併して廃校になることは、なぜか記事に抜け落ちている。

 その川上東小学校からの依頼を受けて、“チョウの生まれつきのちえ(本能)”についてお話をしてきた。「母親のチョウには足に舌があって子供の食べ物を見分けていると」という話には、チョウに詳しい村の子供たちも目を輝かして聞き入ってくれた。廃校までに残された9ヶ月、良い思い出を作ってあげたいという先生方の希望に少しでもお手伝いできたと思いつつ、「地球に何百万種もの昆虫がいるのは、様々な虫たちが住み分け、食べ分けて争わないようにしているからだよ」というまとめの言葉がよそよそしく、空しさが残った。

 宿泊に当てられた温泉は学校から10km、村の中心部で新設のダムサイトにあり、新築の村役場と総合文化センターが川と森の中に異様な輝きをみせている。崖を切り開き、峠を貫いて作られたハイウエー、深い渓谷をまたいで対岸の旧道を結ぶ日本で3番目のつり橋、その橋脚の大きさ、高さは想像を絶する技術の粋を結集したものだそうだ。このまるでアメリカの西海岸を連想させる景色と村の2つの学校を合併しても児童総数88人、村民の40%が高齢者という社会構造とのアンバランス、日本の山村どこにでもある景色では片付けられない深刻な状況だ。

 一週間後京都交響楽団の演奏する“森の歌”を聞いた。若い人にはなじみがうすくなったが、40数年前には日本の若者の心を捉え、大学キャンパスを席巻したショスタコービッチの名曲だ。スターリン批判と共に絶版のごとく消えていたものが京響によって再生したのだ。当時熱狂した一人としては気恥ずかしい場面もあるが、戦争で荒廃した祖国の大地を森で埋めようとの呼びかけは、新鮮に響いた。日本中の山村も戦前、戦中にかけて村と名が付くところは70%もの森を、原生林を切り倒して、経済性の高い杉と檜に植え替えた。その過酷な労働を国民的に支援するため、子供らは“お山の杉の子”の歌を懸命に歌った。スターリンの緑化運動は紆余曲折を経て新体制に受け継がれているという。日本はどうだ、経済性のみを追求した戦後社会は森と山村に荒廃のみをもたらしている。
 川上村の緑は都会人には生き生きと美しい。しかし地元の人々は森が自然林でないこと、したがって自然がもつ自己再生力に乏しく年毎に緑が死につつあることを心配している。手遅れにならないうちに植えて育てた緑を利用する構造を再生しなければならない。そうすれば、廃校になる素晴らしい村の学校に子供たちが再び戻ってくることができるのだが。ちなみにピオネールが植えたのは杉ではなくポプラだった。



[昆虫と食草の共進化ラボ JT生命誌研究館顧問 吉川 寛]

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