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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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心と手 ③

2019年10月15日

心と手への関心はAIとの関わりの中で人間の特徴を見ていく時に浮び上ってきたことです。人間らしさとして心のありようを見て行こうとするとどうしても脳に眼が向きます。というより脳について語ることが心を語ることとされていると言った方がよいかもしれません。ところで近年、体あっての心であり、バクテリアからずっとつながっている生きもののありようが心を生み出していることが見えてきました。脳のはたらきだけを見ているとAIの方が情報処理能力が優れているということにもなりかねません。そこで改めて体あっての心という見方が重要になります。ここがAIとは違うでしょというわけですし、先回書きましたように、とくに手は人間ならではの表現ができるところに魅力があります。

ところで、最近の私たちの手は手として使われておらず、10本の指になってはいないかしらという疑問がわいてきます。手というよりも10本の指がスマホの画面(コンピュータのキーボード)の上を動きまわることですべてが行なわれてしまうのです。サピエンス全史を書いたハラリは、「指は電子機器の画面とクレジットカードにつながっている」と書き、ここで人間には体があることを認識しなければ危ないと指摘しています。クレジットカードまでは気づきませんでしたが、確かにそうですね。

先回美しいものを生み出すと言った時の手は、触覚も含めて感じる手であって指だけで生れるヴァーチャルな世界とは違うものを語っています。人間は生きものという言葉には、体あっての心という思いがこめられています。

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