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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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7年という月日はどう流れ、これからどこへ

2018年3月15日

東日本大震災から7年がたちました。先日福島を訪れ、浪江の海を見てきました。冷たい風は吹いていましたが、海はあの時テレビで見た荒々しさとは遠い静けさの中にありました。けれども砂浜のすぐ側には、壊された小学校がそのまま建っています。子供たちは山へと走り、全員無事だったのですが、そこまでは2.5キロメートル。遠い山を眺めながら、皆んなよくあそこまで走ったなあと感心しました。

少し先には東京電力の原子力発電所が見え、そこで毎日6000人もの人によって行なわれている作業を思うと科学という分野に身を置く一人としてやるせない気持になりました。

たった一日でしたが、車で福島県をまわり、思うことは山ほどありました。もちろん、本当の日常を知ることは難しく、外からの眼でしかありませんが、原発事故からの回復がとてもとても難しい課題であることを改めて実感しました。科学技術の課題もたくさんありますし、日常の問題山積です。山積と言えば、汚染土を入れた黒い袋が積まれ、経年劣化を心配して更にその上にカバーがかけられている姿を見ると、この国は科学技術先進国なのだろうかと問いたくなります。今日本に暮らす人々が最優先して向き合わなければならないのはこの課題だということははっきりしています。それは思いやりという気持を越えた具体的な政策であり、予算の配分であり、行動です。相変らず大型土木、建築工事には予算がつくので、なぜこれがここにというような防潮堤ができ、どう使うのかが疑問の立派な建物が目につきます。東京オリンピックの開催がきまってからはますますその方向になっています。これをなんとか変えていかなければなりません。

生命誌研究館という小さな場で小さな仕事をするのがせいいっぱいという実態で偉そうなことは言えませんが、変えていきたい方向を向き、少しでも意味のあることをしていきたいと思った一日でした。

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