館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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長岡京と高槻
2016年11月15日
長岡京室内アンサンブルを東京文化会館で聴きました。音楽監督の森悠子さんが「長岡京ってどこ?と思っていらっしゃるでしょう」と笑いながらおっしゃるのを聞いて「高槻ってどこ?」と同じだなと思い一緒に笑ってしまいました。そして、「皆さん平城京、平安京、東京と思っていらっしゃるでしょうが、平城京と平安京の間に長岡京があるんですよ。」という訴えを聞きながら、長岡京ガンバレと心の中で応援していました。784年、桓武天皇の勅命で水運の便を求めての長岡京への遷都があったのですが、天災やら疫病やらが続き、794年には平安京に遷都となったと歴史の本にあります。10年とはなんとも短命過ぎますね。
長岡京ほどではありませんが、高槻も継体天皇陵とされる今城塚古墳を筆頭にたくさんの古墳がある歴史のある街です。埴輪工場があったとされ、そこは今もハニワ公園として市民の楽しむ場になっています。因みに、高槻のいわゆるユルキャラはハニタン。ちょっと飛ばして安土桃山時代、キリシタン大名高山右近が領主だったこともこの地の大事な歴史です。今も、研究館のある敷地を出るとすぐに左へと続く西国街道があり、なんとなく雰囲気を残していますので、そこを眺めながら駅への道を急ぐ毎日です。
以前森悠子さんに長岡京アンサンブルへの思いを伺っており、初めて聴く演奏に生命誌研究館と重なるものを感じました。来年が20周年と伺って、同じ頃に同じ思いを持ったのだなあと感慨深く、その話を書くつもりで始めたのですが、長岡京から脇道にどんどん入ってしまいました。そこで今日はここまで。森さんへの思いは次回に書きます。