館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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使わないことも考える時
2015年5月15日
『ダーウィンが来た!』。日曜日の夕食後の時間なのでつい見てしまう番組です。昨日はインド洋のクリスマス島にいるというアカガニでした。5000万匹というカニが森から産卵のために9キロほど先の海まで移動する話(ごらんになった方も多いでしょう)。とにかく生きものは子孫へといのちをつないでいくことに必死な存在であると改めて実感しました。
「人間は生きものである」を基本に置くということは、私たちも子孫のことを必死で考えましょうということです。そこで考えなければならないのがやはり戦争です。これまで常に戦いがあったことは確かです。当初はまさに食糧など生きていくために不可欠なものを争っての戦いだったものが、時を経て、より広範な資源争奪になり、更には権力争いになるあたりから他の生きものとは違ってきます。しかも、産業革命以後、とくに20世紀に入ってからは、科学技術が戦争を大きく変えました。
生きものは生存競争に勝ち抜く必要がある、歴史を見れば戦争の連続ではないかという話ではありません。地球上の人のすべてを何回も殺せるだけの核を持っていることがわかっているので、本格的戦争はできません。化学兵器や生物兵器もNoです。けれども、それ以外の兵器であればよいだろうとばかりに、ドローンなどというとんでもないものが使われています。
核、化学兵器、生物兵器は自分も危ないけれど、ドローンは爆弾を落されたところの人だけ。これが判断基準だとすれば、なんと情けない話でしょう。科学や科学技術を専門にする人にとって、「使わない科学技術」は、とても考えにくいものですが、戦争に限らず、そろそろ「使わない科学技術」について眞剣に考える時が来ているのではないかと思い始めています。