館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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【和え物、お好きですか】
2011.5.16
ところで、「季刊生命誌」では毎年のテーマを動詞できめてきました。「生命」というように名詞にすると、そこで思考停止になりがちですが、「生きている」という動詞なら食べたり、働いたりの具体が見えてくることに気づいたからです。「愛づる、語る、観る、関わる、生る、続く、めぐる、編む」。生きもののもつ性質、生きものに向き合う時の気持などを考えての選択です。さて今年は何にしようか。さまざまな候補から結局「遊ぶ」ときめました。この危急存亡の時に何をと言われそうですが、それだからこそという気持であえて選んだので、その気持は次回書きます。 今回は、使わなかった言葉についての思いを少々、「和」です。「和」は、新自由主義では評判が悪いのですが、とても深い、とくに日本人にとっては大事な言葉です。そこでこれの動詞はと調べると、「和(やわ)らぐ」「和(なご) む」「和(あ)える」が出てきました。「和える」・・・ここでふと思いつきました。よく、アメリカ、とくにニューヨークを「サラダボール」に例えます。トマト、キュウリ、レタス、ピーマン、アスパラガス・・・一つの器に色とりどりの野菜が入っています。でもサラダの場合、トマトはトマト、キュウリはキュウリと別々です。それに対して日本は「 白和(しらあ)え」かなと思ったのです。ホウレンソウの白和えでは、ゴマ、豆腐、ホウレンソウが一体化しながらもそれぞれの味が生きています。これぞ望む姿、「和える」で行こう。一時はそう思ったのですが、どうしても小鉢に入った和え物が頭に浮かぶので、残念ながら一時お蔵入りとなりました。でもサラダと白和えの対比、なかなかよくありませんか。捨て切れずにいます。お考えお聞かせ下さい。 【中村桂子】 ※「ちょっと一言」へのご希望や意見等は、こちらまでお寄せ下さい。 |