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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【クラス会がどうなるかな】

2011.4.15 

中村桂子館長
 原子力発電のことを無視して、物を考えることはできない状況(社会)と状態(私自身)になっています。これは、私にとってはとても重い問題です。1955年、東大理1(工学部と理学部へ進学)に入学しました。因みに500人近くの中で女子は3人、最近大学へ行って大勢の女子学生に会うと嬉しくなります。今、その時のクラスの中で、メールがやりとりされています。というのも、私たちの学生時代は、「原子力発電」は夢の技術であり、本当に優秀な人たちがその分野を専攻したのです。更に、エネルギー供給は経済成長、生活の豊かさを支える基盤ですから東京電力に入社した人も多いのです。実は地震の専門家もいます(彼とはたまたま3月11日午後一緒に会議に参加していました)。
 近くクラス会があるので真剣に話し合うことになるのだろうなと思います。ここで思うのが時代です。敗戦ですべてを失ない、ゼロから出発して豊かさを求め、懸命に努力していた時を思い出します。私はその中で道を踏みはずし(と当時言われました)、一人だけ生物学などという役に立ちそうもない方へ進んだために、少し違う考え方をしてきたことは確かです。私なりの疑問を持ち、その発信をしてはきました。でもその時代を生きてきた一人であることに変わりはないのです。自分の生きてきた時代の活動を非難するだけでは意味がなく、体験を生かして考えを深めるしかないと思っています。
 とくに今は、お金優先という価値が社会を動かしているので悩みます。皆で力を合わせて社会をよくしようという気持だけで動いていたことを思い、これほどお金優先にならなければ違っただろうにと思ったりもします。バブルの頃はきっと理1を出て金融業という人が多かったでしょう。
 先回も書きましたように、現実の事故への対応は厳しくしなければいけません。なんとしてもこれ以上の災害にしないために、対応のまずさは指摘し、その解決のためにあらゆる知恵を結集しなければなりません。
 ただこれは、私たちの生き方という重い問題をつきつけるものです。「生命誌」では「生きているを見つめて生きるを考える」という考え方をしてきましたし、それを続けることで新しい道を作りたいのですが。

 【中村桂子】


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