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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【基本になるものを一つ選ぶ】

2010.11.15 

中村桂子館長
 かなり長い間おつき合いしている新聞社の人に生命誌の「誌」にこめた思いを聞かれ、褸々説明しました。「とてもよくわかったけれど、それをもっと皆に説明しなければ」と言われてしまいました。実は、自殺者が3万人を超え、どうしてもそれが下らないという状況になった時、厚労省が自殺対策基本法の制定が必要と考えました。その時座長を依頼された検討会のメンバーの一人に彼女もいたのです。「生命誌では自殺も大事なテーマになるということね。」と納得してくれました。
 先回教育のことを書きましたが、周囲の方への説明も不足していることに気づき、このコラムでも日常茶飯事だけでなく生命誌のことをちゃんと書きたいと思っているところです。
 とはいえ、日常も。11月6日が我が家からダイヤモンド富士が見える日でした。ちょうど土曜日、楽しみにしていたのですが、富士山の附近だけもやもやしてきれいではありませんでした。近くの橋の上では三脚を立てて待っている方もいらしたのに夕焼けもイマイチ。自然は意地悪です。
 そこで本題に移ります。知りたいのは、「生きているってどういうこと」です。これをどうやって知るか。まず既存の学問があります。哲学、宗教学、生物学・・・先人の考えの積み重ねであり、それぞれに学ぶことがあります。ただ、学問には、歴史と共に約束事が生れており、そこからはみ出すことは許されません。自然科学なら、客観性とか再現性などです。けれども「生きている」ということとなると、夕食用にサンマを焼いている間に、生きていく以上生きものを食べないわけにはいかないということを思い起こしたり、今年はサンマが高値なのは夏がやたらに暑かったことと関係しているのかしらと地球について問うたりすることになり、これも考えるの中に入ります。それを「学問」にするのは難しいことです。つまり、生命について考えようとすると限りなく広がってしまうので、恐らく「生命学」という学問はあり得ないでしょう。自殺もサンマも一緒になったのでは、考えがまとまるはずもありません。しかし、これまで積み重ねられてきた学問から学ぶことはたくさんあるわけです。学問にはならないけれどそこから学ぶことはある。そこで、こういう選択ができると思うのです。既存の学問の中から一つを選んでそれを基本に置くことです。その学問を究めるのではないので、そこに閉じ籠もらず、そこにある知識や考え方を基本にするということです。一つ選ぶということ大事だと思います。たとえば、大学に環境、人間、生命、自然などという名前のついた学科ができていますが、そこでは何を学ぶのかが明確でないように見えます。そこで、このような学科に入った学生さんには、自分で一つ学問を決めて勉強することを勧めています。たとえば、環境なら、物理学、化学、生物学など、科学なら何でも切り口になります。社会学、心理学・・・思いつくままに考えると、環境というテーマと結びつかない学問はないと言えそうです。ですから自分の切り口を持つとよいと思うのです。
 「生きている」を考えるにあたって私は、自分が学んできた生物学、とくに分子生物学を基本に置くことにしました。分子生物学を究めるのでなくあくまでも切り口です。これを根にしてどこへ広がってもよい、自然科学に限らず美術、音楽、文学、哲学・・・つながりが生れたらそれを大事にして「生きているとはどういうことかを考える知を組み立てる」。これが生命誌の始まりです。

 【中村桂子】


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