館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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【多田富雄先生との話し合い】
2010.5.14
それともう一つ、多田富雄先生とお話し合いをした二冊の本を読みました。そこに、今考えなければならない大事なことがたくさん出てきたのにちょっと驚きながら。「生命誌」について考えていた20年ほど前、多田先生がお書きになった「免疫の意味論」というすばらしい本を引き込まれるように読み、たくさんのことを教えられ、いろいろ考えたのが思い出されます。実は先生も、私の「自己創出する生命」を読んで下さいました。そして、「何か同じことを、同じ方向のことを考えているんじゃないかと思ったんです。でもやはり言葉が違うので本当に同じかどうか話し合いたいと思った」と話し合いの中でおっしゃっています。先生は生命を「スーパーシステム」と呼び、私は「自己創出系」と言ったのですが、免疫とゲノムという切り口が違っても確かに「同じこと、同じ方向」でしたし、話し合いながら考えることはとても刺激的でした。その後、先生は文化人として大活躍。私の悪い癖で、有名(あまりよい表現ではないかもしれませんが、他に思いつかないので)になった方に近づくのがとても苦手なので、その後ゆっくりお話をする機会を持たなかったのが、今とても悔やまれます。先生はお亡くなりになってしまい、お会いしなくてもいつかお話ができると思っているのと、それができないというのとではまったく違うことに気づいたのです。遅いですね。二冊の本は「ゲノムの見る夢」(青土社)と「私はなぜ存在するか 脳・免疫・ゲノム」(哲学書房)で、前の本は私が多田先生の他河合隼雄先生、中沢新一さんなどと対談をしています。後の本は、養老孟司さんとの三人で話し合っているもの。久しぶりで読み直して、基本を見つめることができました。多田先生がいらっしゃらないのは、とても大きなものを失なったことですけれど、考え直す機会が持てたこと改めて先生に感謝しています。 【中村桂子】 ※「ちょっと一言」へのご希望や意見等は、こちらまでお寄せ下さい。 |