館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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【意外なアダム・スミス像 — 富と幸福の関係】
2010.1.5
ところで、先回、次は豊かさと幸せについて書きますと約束しましたので、話をそちらに移します。主役はアダム・スミスです。経済音痴、経済学音痴を自認している私も自由主義経済の祖としてのこの名前は知っています。「個人が自分の利益を追求すれば、競争する市場で “見えざる手” がはたらき社会は繁栄すると言った人」というくらいの認識で、あまり好きでないお金優先の社会を支える論を出した人だと思っていました。ところが先日、阪大の経済学研究科の堂目先生のお話を聞き、まさに蒙をひらかれました。スミスの主著として、「国富論」の他に「道徳感情論」があり、そこでスミスは「人間は利己的でもあるけれど、人間の本性には別の原理がある」と言っているのだそうです。それは「他人の運不運に関心を持ち、他人の幸福を自分にとって必要なものと感じる」ことであり、「他人の悲しみを想像することで自分も悲しくなることがあるのは明白だ」ということだとスミスは言っているとのことです。 堂目先生はこれを同感(共感)と表現され、スミスの考える同感のしくみを解説して下さいました。とても人間的な話です。私がとくに興味を持ったのは「スミスの幸福論、富と幸福の関係」です。まず、富のレベルが低すぎると幸福にはなれない、最低限必要な富があると言います。納得できます。問題はそこから先です。ここで、富があればあるほど幸福だと思って富を求め続けるのは “弱い人” だと彼は言います。そして、最低限の富で得られた幸福は、それ以上富を伸ばしても増えることはないと考えるのが “賢人” だと言うのです。もちろん他の形での幸福は更に求めてもよいわけですが、「富と幸福の関係は、富が増すほど幸福が増すというものではないと考えましょう。それが賢い人ですよ」というスミスの声、傾聴に値すると思いませんか。経済学は人間についてろくなことを言わないと思い続けてきたのは間違いでした。でもちょっと生意気を言わせていただくなら、最近の経済関係者の多くは、“賢い人でなく弱い人” になっているのではないでしょうか。ホモ・サピエンス・サピエンスとして生きましょう、そうすれば幸せになれますよというメッセージを出した人という、私の新しいスミス像です。 科学技術予算についても同じだと思うのです。研究ができないほどの貧しさはいけないけれど、あるレベルに来たら、その後はお金がたくさんあればあるほどよい仕事ができるというものではないでしょう。この話から離れたつもりでしたのに、また戻ってしまいました。 【中村桂子】 ※「ちょっと一言」へのご希望や意見等は、こちらまでお寄せ下さい。 |