館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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サルバドール・ダリ(1904〜1989)と聞くと、反射的にあの独特な髭とそれとよく合う一風変わった言動を思い出してしまい、絵そのものを好んで観賞することはありませんでした。ところがたまたま、ダリが世界中から一流の学者を集めて開いた会議の記録を見て、20世紀を生き抜いた画家の表現は、20世紀の科学への強い関心から生れていたのだということを知り、ちょっと興味がわいてきています。記録の中にあったエピソードを二つ。ダリがとくに関心を持った科学はまず、量子力学と相対性理論、つまり20世紀前半に大きく動いた物理学でした。その延長上で、数学者ルネ・トムのカタストロフィー理論やイリヤ・プリゴジンの散逸構造理論(両方共難しくて私など到底理解できませんが、でも面白そうとは思います)などにも関心を持ち、会議ではこの二人が激しく議論するのをダリが見守っていました。一流の科学者たちは、ダリの眼を強く意識して議論していたと出席者の一人は語っています。ここでプリゴジンが質問をします。ダリの代表作とも言える「記憶の固執」にある「柔い三つの時計」は、時間は一定ではないという相対性理論を表現したものでしょうと。これまでの流れから考えれば、誰もがそう考えます。ところがダリは、「いえいえ、そんな面倒なことは考えてませんよ。あれはカマンベールチーズが溶けるのを見て思いついたもの」とかわすのです。確かに、温度が高くなるとカマンベールチーズはあんな風にグニャリとしますけれど・・・。それにしても人を喰った返事ですね。
もう一つ関心を持ったのがDNAの二重らせん構造です。20世紀の科学を象徴する業績二つを適確に捉え、それを自らの表現の基本に置いていたということです。直感でしょう。研究館の活動として、芸術家の方々と組んで科学の表現に取り組んで来た中で、芸術家には科学に関心をお持ちの方が多いと実感していますので、ダリの作品をそういう眼で見直してみたいと思っています。違う見方ができそうです。
DNAについては、二重らせんの発見者の一人であるワトソンが語るエピソードがこれまた面白いのです。自伝「二重らせん」を書いている時、ダリがニューヨークに来ていることを知り、その本にさし絵を描いてもらおうと、ホテルを訪ねていったというのです。ワトソンが、「世界で二番目の天才が一番目の天才にお会いしたいと思っています」というメモを送ったところ、食事を一緒にとなったのだそうです。そこでの会話について、ワトソンは、「ダリはDNAを神に通じるものと見ていました。DNAは神がいないことを示したのに。」とニヤリとしていました。もちろんさし絵の交渉はしなかったのでしょう。
【中村桂子】
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