館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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【「思想」は「思想する」だったとは・・・】
2007.5.1
「思想」とは本来“動詞”である。 びっくりしたという意味わかっていただけますよね。動詞で考えよう、動詞で考えようと自分で思いついたことと思いこんであちこちで言っていたのですが、本来思想は“動詞”であるというのですから。 明治の初めころ、「思想」は「思想する」という動詞の形でしばしば使われていた。・・・「思想」とは、本来こうした「思想する」営みにおいてこそ、「思想」たりうるのである。ところが、西洋の思想文化を、その制度や技術を、全力をあげて輸入し、一日も早く近代国家を形成しようと急ぐところで、「思想」は「思想する」ことを悠長な営みとして切り捨てたのである。その結果、「思想」は日常からますます離れた。 とにかく急ぎすぎている、日常から離れている、考えることを止めている・・・生きもの研究の中でそれを強く感じて、そうだ「生命」と言わずに「生きている」といえば、いろいろなことが具体的に浮かんでくると思いついたのですが、それは明治の初めに戻ってやり直すということだったというのだから驚きです。御存知でしたか。「思想」は「思想する」だったということ。素直にものを見つめ、考えていると、本来に戻るということですね。愚直にこれで行くことにします。 高校での「倫理」に生徒たちが感じている、どこかよそよそしいうさんくささはここにも一因があるだろうと竹内先生はおっしゃっています。私もそう思います。高校生だけでなく世の中の人皆がそうなっている。急ぎ過ぎなんですよ。それでうまく行っていない。生命科学はその典型です。急がばまわれと言うのに。 【中村桂子】 ※「ちょっと一言」へのご希望や意見等は、こちらまでお寄せ下さい。 |